About

 石川県人会の新田義孝専務理事はアイディア・マンである。新田氏は、今から5年あまり前に、県人会仲間の結束を強めるため、「石川県人会の絆」と題する月刊のニューズレターを刊行することを計画した。私は両手を挙げて賛成し、それをすぐ実行に移した新田氏から、前田家第18代目御当主前田利祐県人会名誉会長と私に創刊の弁を書くよう要請があった。前田名誉会長も私もそれに応じて、2016年1月に創刊号が発刊されたが、爾来、私は、毎号のニューズレターに駄文を草するのが慣いとなった。

 それから5年。県人会の仲間に語りかけるべく書きためた駄文が60編を超えた。全編を読み返してみると、内容はたわいもないことの羅列である。また締め切りに追われて書いた私の文章は、間違いが多く、言葉遣いも至らないところだらけである。しかし、我が拙文そのものは、拙いだけに、それなりに懐かしい。老い先の短い私としては、下手な文章の書きっぱなしではなく、何とかいま少しましな修正文を遺しておきたいという思いが胸中湧き上がってきた。

 そんなことを新田専務と話しているうちに、ネットでアップする案がひらめいた。新田氏の前向きなレスポンスに力を得て、纏めたのがこの頁である。

 読み返せば、全編、私の戯れ言、身辺雑記の集積に過ぎない。囲碁将棋の話題が頻繁に出てくるが、私は、将棋は、まるで弱く、囲碁も、もっぱら対局相手に喜ばれている程度である。また、私は歌舞伎の町小松の出身で、歌舞伎や文楽のホンを書いたことがあるため、芝居のことも出てくるが、深い内容でもない。そんなことではあるが、もし、この駄文集が、何かの拍子に読む方のお役に立てば、幸いこれに過ぎるものはない。役立つことはあまりないとは思うが、どうか、笑いながら字を追って頂きたい。

 2021年秋

石田寛人の歩み

 昭和16年(1941年)、東京都牛込区(今の新宿区の一部)に生まれた。父は加賀市出身で、母は小松市出身。2歳の時に母親が死去し、母方の姓を継ぐべく母方の祖父母の養子となって、小松の家に引き取られ、小学校(小松市立稚松小学校)、中学校(同丸之内中学校)、高校(金沢大学附属高等学校)と石川県で過ごした。

 昭和35年(1960年)、東京大学入学。理科Ⅰ類。大学生の4年間は目白の和敬塾で過ごした。昭和37年(1962年)、工学部原子力工学科に進学して、昭和39年(1964年)卒業。同年科学技術庁(現文部科学省)に入庁した。原子力局に勤務した後、昭和43年(1968年)米国イリノイ大学大学院(政治学・科学技術政策)に人事院留学。帰国して原子力局と計画局の係長、専門職、課長補佐を務めた。昭和52年(1977年)科学技術庁長官秘書官事務取扱として約1年間、熊谷太三郎科学技術庁長官に仕えた。その後、計画局の科学調査官、課長を務め、昭和57年(1982年)在米大使館参事官となり、3年3ヶ月程ワシントンに滞在した。

 昭和60年(1985年)科学技術庁に戻り、いくつかの課長職審議官職を経て、原子力局長、科学審議官、科学技術事務次官を務め、平成10年(1998年)に退官した。

平成11年(1999年)から平成15年(2003年)まで駐チェコ共和国特命全権大使(平成13年まで駐スロバキア大使兼轄)を務めた。帰国してから、平成15年(2003年)東京大学客員教授。平成16年(2004年)金沢学院大学、金沢学院短期大学学長等(現在金沢学院大学名誉学長)等を務め、平成30年(2018年)の公立小松大学の開学以来その理事長の職にある。

 この間、文部科学省科学技術・学術審議会委員、日本学術会議連携会員、石川県学生寮理事長、科学未来館総館長を務め、現在、原子力安全技術センター会長、本田財団理事長、政策研究大学院大学経営協議会委員(学長選考会議議長)、参議等の仕事をしている。

 石川県関係では、現在、石川県人会会長、全国石川県人会連合会会長、関東大小松会会長、前田育徳会理事長、成巽閣理事を務めている。

 スポーツは中学生時代の相撲。本番直前に骨折したのが唯一の戦績である。

 趣味は歌舞伎と文楽の鑑賞とホンの執筆。

 昭和22年(1947年)、小松市京町の戦後復興の子供歌舞伎の第1回目「本朝廿四孝」を見てから歌舞伎に惹かれ、和敬塾では、先輩から指導を受け、歌舞伎座などに通った。そのうちに、歌舞伎本、文楽本の執筆にも興味がわいて、以下の作品を書いた。

・「秋津見恋之手鏡(あきづにみる・こいのてがみ)」文楽床本、加賀騒動の大槻伝蔵の物語、第2回文楽なにわ賞佳作入賞作品

・「銘刀石切仏御前(めいとういしきり・ほとけのおんまえ)」歌舞伎台本、平家物語妓王と仏御前の物語。小松と米原の子供歌舞伎で四度上演。

・「辰巳用水後日誉(たつみようすい・ごにちのほまれ)」歌舞伎台本、金沢辰巳用水開削者板屋兵四郎と前田利常公の物語。小松の子供歌舞伎で三度上演。

現在、NPO法人日本伝統芸能振興会会長を務めている。