成巽閣の一口残

 糖尿病研究と言えば、公立小松大学で我が同僚山本博学長はその道の大家である。保健医療学部の森川浩子教授は糖尿病合併症学会で活躍中で、その学会会長は金沢医科大学の古家(こや)大祐教授。同学会は、今月金沢で大会を開く予定だったが、コロナの影響で12月オンライン開催となったようだ。ここで注目すべきは、学問上の成果を一般国民に還元するよう努力されていることで、オンラインの大会でも市民公開講座が開かれる。この講座では、糖尿病対策に関する寸劇などが行われるほか、古家会長と前田家第18代御当主前田利祐県人会名誉会長の対談がプログラムに入っており、9月初めに録画撮りが行われた。

 録画の場所は、御当主のホームグラウンド成巽閣で、清香書院の軒下。ここは、成巽閣の中でも、普段は一般公開されていない。私はこの対談に立ち会ったが、交わされた言葉の端々に雅味が溢れていて、まさに人生の達人の清談であった。

 さて、その日、我々は早めに会場に到着したが、録画の前に吉竹泰雄館長に案内されたのは成巽閣内の三華亭。ここは煎茶の茶室で、清香書院同様に公開されていない。この茶室も成巽閣と同じ前田家第13代目斉泰公の造作になるもので、建築場所が東京の本郷から根岸、駒場を転々として、戦後、金沢に移って成巽閣の一画に落ち着いた。造りは極めて華奢で、移築が重ねられたためか、かつての壁の色がよく分からないので、今は鼠色に塗られているが、元の色がはっきりして復元されれば、一段と素晴らしいと思われる。

 この三華亭に「一口残」と書かれた小さい扁額が掛けられている。これは、斉泰公が、老人達を呼んで話を聞かれた際、114歳にもなる翁がおられて、その方に長寿の秘訣を訊ねられたら、「それは食べ物を控え目にすることでございます。出されたものは、一口残すことを心掛けております」という趣旨の返事をされたとのことだ。斉泰公は、それは面白いと「一口残」と書かれた扁額に仕立てられたのである。

 私は、小中学生時代、食が細かったが、中三の頃から俄然食欲に目覚め、高校時代以来、大食い、しかも、早食いになってしまった。その頃、祖父から、お米は農家の方々の丹精の成果だから、一粒も無駄にしてはいけない、弁当は蓋の裏の御飯ツブから食べるようにとしつけられ、高校時代からそれを遵守している。結果、弁当であれ、丼であれ、御飯が大好きになった。同時に早食いのクセもついてしまい、金沢学院大学時代、小松空港から金沢へ向かうための車に乗って弁当を拡げるや、手取川を渡る前に、はなはだしい時には高速道路に入る前に食べ尽くしてしまうということがあり、大いに反省したものだが、今日に至るまであまり改善されていない。こんなことでは、糖尿病になる恐れがあるが、お医者さんの定期検診を受けつつ発病一歩手前の土俵際でこらえている。

 大食いや早食いを避ける一方、食料を無駄にしないことも極めて大切である。今日では、出された御飯や料理を一口残すのは、いかがなものかと思われるが、この「一口残」とは、盛り付けする時から、御飯やおかずを控え目にすべしという教訓と受け止めるべきだろう。糖尿病への対応は、バランスのとれた食事をゆっくり食べ、食べ過ぎないことに尽きるようだ。成巽閣での清談を機に、よく噛んで食べ食べ、よく運動したいと気持ちを新たにした。しかるに、妻曰く「とても、それはむり」(2020年10月15日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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