7月9日の日曜日、私は金沢市内の旧園邸・松向庵で、七夕茶会の末席を汚した。金沢の市内には茶室が多く、そんな茶室やお寺において、いろいろな茶会が催される。藩政期に金沢で発達した「もてなし文化」あるいは「およばれの文化」が今に伝わるものと解してよいかもしれない。
七夕茶会は、金沢市の企画で、私のお茶の師匠、と言っても、私は、お茶のことはほとんど知らず、お点前も全くできないが、私にともかくお茶のことを教えてくれている高校の同級生吉倉虚白宗匠が責任者となって毎年行われている。この茶会の特長は、初めに金沢大学の学生たちによるマンドリン演奏が行われること。しっとりと水が打ってある小庭園を背景に響くマンドリンの音は、とても爽やかさで、涼しい夏が楽しめる時間と空間をつくり出す。
この茶席には、梶の葉を飾るのが通例である。平家物語の「妓王」の章に「星合の空を眺めつつ、天の戸渡る梶の葉に、思ふ事書く頃なれや」とあり、ここで「カジ」は天の川を渡る船の楫と梶の葉を掛けているが、梶は、和紙の原料にもなり、葉の裏には字を書きうるから、願いごとを書いて笹に結びつける今の短冊のようなものなのだろう。天の川は、船で渡るのだろうか、鵲(かささぎ)の橋を渡るのだろうか。この茶会では「烏鵲(うじゃく)の橋」という茶杓が用いられていた。
床の掛け軸は、表千家御家元而妙齊の筆で「暁屏無眠待牽牛」。ひと晩、牽牛星を待つ七夕の心を書いたものか。今、牽牛と織女は恋人同士と思われがちだが、本来は夫婦であるとの解説があった。
茶席終了後、金沢城の大手堀沿いに歩いて橋場町へ行き、大樋美術館に大樋陶冶斎先生を訪ねた。先日の御夫人御他界に対して弔意を表するためである。抹茶とお菓子を頂きながら聴く文化勲章受章者陶冶斎先生のお声には、陶芸に対する無限の思いが凝縮されているように感じた。
それから、思い立って、突然、近くの泉鏡花文学館を覗いた。思いがけなく二人の高名な鏡花研究者秋山稔館長(現金沢学院大学理事長・学長)と穴倉玉日(たまき)学芸員が在館されており、お話しできたのが嬉しかった。「紅葉の賀」の源氏香模様が付されている鏡花文学館の入場券を見て、鏡花がこれをあたかも家紋のように使っていたことを思い出した。
かくして、短い時間に金沢のすばらしい文化人達にお目にかかって、日頃の雑ぱくな生活とは違う境地にひたることができ、故郷のありがたさをしみじみ感じたのであった。
(2017年7月20日記)
0コメント