3月3日は雛祭り。今、金沢の兼六園の隣の成巽閣では、雛人形展が行われている。ぜひ一度御覧頂きたい。成巽閣は、本多の森や護国神社側の正面から美しい海鼠(なまこ)塀の間の大きな門を通って玄関に行こうとすると、現代人が時代劇に入っていくようで、いささかの覚悟めいたものがいる感じがするし、裏の兼六園に面した赤門からの入門も、庭先から中を窺うようで躊躇される方が多いようだ。しかし、このすばらしい建造物は、かつての大名や奥方の生活を偲ぶ重要な歴史遺産だから、公益財団法人成巽閣の役員の一人としても、多くの方々の御訪問を切に期待している。
さて、我が家でも、長女が数歳になった数十年前の3月、妻が母から受け継いだ雛人形を出してきた。しかし、狭い公務員住宅では五段飾りはとても出来ないので、内裏雛のみをちゃぶ台に置いただけにしていた。長女はそれを見て、テレビで見るお雛さまにはもっと大勢の人形がいるとつぶやいたので、妻は、それならばと、翌年は五人囃子を加えた。所詮狭い家には全人形15体は飾れないので、最も人数の多いグループを追加したのである。この五人囃子を、前の年と同じちゃぶ台の上に、内裏雛とともに、車座になった形で並べたのだった。これで、長女は文句を言わなくなったが、何となくしまりがないように感じたので、内裏雛の前に、五人囃子を順序通りに、向かって右から謡・笛・小鼓・大鼓・太鼓の順に並べ替えてみたが、こうなると人形7体では、いささかの寂しさを禁じ得なかった。
この五人囃子の並び方は、能楽で行われている通りであり、長唄でも基本は同じである。もっとも能楽の場合は地謡は8人が普通であり、また太鼓が出ない場合がある。長唄の場合は、上下2段に別れ、下段は右から笛以下順に並ぶが、小鼓だけは1人ではなく、複数の方が打つのが普通である。上段は向かって左手が唄で、右側が三味線、それぞれ多くの演奏者が居並ぶ。私が大好きな勧進帳については、歌舞伎座では8人ずつで、今はこれが正式なのだろうが、小松の子供歌舞伎では、もっと多くの演奏者が出る。唄の最も三味線寄りの方が立唄、三味線の最も唄寄りの方が立三味線、つまり中央の二人が、両グループのリーダーである。
この下段の並びはずっと不変のようだが、上段に関しては、我が家の勧進帳の浮世絵では、長唄と三味線の組み合わせが何組かに分かれて坐っている形で描かれているので、かつては、別の並び方があったことが分かる。
最後に、雛祭りの内裏雛の冠は、今は、立纓のものと垂纓のもののがあるが、これには時代による変遷があるはずだ。また、男雛女雛の左右の位置関係にも変化があった。毎年何気なく見ている雛飾りも、とても奥深いと感心している。(2018年3月19日記)
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