白峯千古静

 新年おめでとうございます。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

 さて、毎年、私は熱心に年賀状を書く。年末年始休みのかなりの部分を年賀状書きにあてている。かつては、歌舞伎の版画らしきものを刷ったこともあるが、これは手間がかかる。最近は、もっぱら漢字を並べた「漢詩」と覚しきものを印刷している。カギカッコを付けたのは、私の作るのは、「漢詩もどき」であって、「漢詩」ではないという意味である。

 私の父清水忠次郎は、金沢大学で英語や英文学を研究し、教壇に立っていたが、晩年は漢詩を作るのに力を入れていた。作るのは圧倒的に五言絶句。5文字からなる句を4つ連ねる。その自作の漢詩を日本語と英語に訳し、和漢英の三体の詩を詩集にして和綴じ本を作っていた。私はそんなことはとてもできないので、最初は年賀状に父の新年の詩を書きつけていたが、それも残り少なくなってきた。そこで自分流に漢字を並べ、賀状に印刷するようになった。私の作は、平仄を合わせ、押韻はしているが、漢字の羅列に過ぎない。父の五言絶句に対して、私は七言絶句もどきを試みているが、時に父の詩をもじったようなものもつくっており、今年の賀状は五言絶句の形になった。

 10月末から11月半ばまでの間の、休みの日。私は、自宅のソファーの上で、翌年の年賀状のための「漢詩もどきの製造」あるいは「漢字の羅列」の作業を行う。その時ばかりは、漢詩教本や漢語辞典と首っ引きで、全く声を発せず、一日輾転反側して作業に没頭するから、妻はまたこの日が来たと笑う。印刷は、自分でも十分できるが、綺麗な仕上がりにするため、近くの印刷業者にお願いしている。私の住む調布界隈では、こんな「漢字羅列賀状」を作る者は、絶滅危惧種になりつつあるようで、数年前、業者の会合で話題にされたとか。詩そのものがひどいわりには、旧字体を用い、読み下しは歴史的かなづかい、字の大きさにもこだわるから、何度も校正する。印刷所には、とんだ迷惑かもしれない。

 全国的には、素晴らしい漢詩を作る方は多くおられて、我が故郷でも金沢には犀陽吟社、小松には梅林吟社なる結社がある。七尾では、まさに地元の漢詩「霜は陣営に満ちて秋気清し」ではじまる上杉謙信の有名な「九月十三夜陣中の作」の吟詠が盛んに行われている。二、三年後には、全日本漢詩連盟の全国大会が石川県で開催される動きが具体化しつつある。なお、漢詩連盟では、漢詩を募集し、優秀作が表彰されるが、応募作品は、基本的に七言絶句の詩に限られるようだ。

 中国文学の最高峰ともされる唐代の漢詩は、詩仙李白と詩聖杜甫が二大巨人であるが、「李絶杜律」という言葉があるように、杜甫に律詩の名作が多いのに対して、七絶は李白が最も得意とした形式である。最近はAI(人工知能)も漢詩を作るようで、清華大学では、漢詩を詠む「薇薇(ウェイウェイ)」というソフトができているが、その作品はいかなるものか、もちろん私には論評の能力はない。最後に、私の父が作った詩の中で年頭の詩として詩集巻頭に置いた五絶「老梅開花」を紹介して、本稿を締めくくりたい。「白峯千古静 萬象楽和平 老幹開紅蕾 乾坤此裏盈」(やましずか いきるよろこび うめ咲きて あめつちみつる」(2019年1月18日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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