百工比照の輝き

 コロナ禍が世を覆う中、過日、石川県人会で活躍された西喬氏と小林好晴氏が逝去された。在りし日の御活動に感謝しつつ、心からご冥福をお祈りする。

 10月1日、コロナの非常事態宣言が解除され、心も軽く公立小松大学に出勤したら、「別冊太陽」の「工芸王国・金沢・能登・加賀への旅」という写真本を、執筆者の一人西村聡教授から頂いた。石川県の工芸百般を紹介した本書は、赤や黒や紫の四角い色漆見本の表紙写真が目を引く。これは後述する「百工比照(ひゃっこうひしょう)」の一部である。

 目次を追おう。①『加賀百万石が生んだ絢爛たる美術工芸』は、金沢箔・加賀友禅・九谷焼・加賀蒔絵・加賀象眼・金沢仏壇。『茶の湯でもてなす金沢の工芸』は、大樋焼・釜・銅鑼。②『里山の自然が育んだ暮らしの工芸』と題して珠洲焼・輪島塗・能登上布・七尾和ろうそく・山中漆器。③「特別企画」は、『百工比照』と『成巽閣』と『加賀藩御細工所と加賀宝生』。さらに工芸王国の未来を担う若手作家5人の紹介。④最後に『古美術店』、『泉鏡花と工芸』、『料亭』、『町歩きと食の楽しみ』の案内。

 加えて、『工芸王国の底力』と題して、建築家隈研吾氏達が巻頭エッセイを寄せられ、専門家が上記各項目を解説されている。私は能楽史研究家西村教授の筆になる御細工所と能楽の関係にも興味はあるが、今回は表紙を彩る「百工比照」について述べる。

 「百工比照」は、加賀家5代目前田綱紀公が自ら編纂された各種工芸のサンプル集で、前田育徳会が所蔵し、重要文化財に指定されている。今は鬼籍に入られた島崎丞前石川県立美術館長によれば、江戸時代前期から中期の元禄期に至る各種の工芸の実物資料や、見本、模造品、摸写の図案や絵画、文書資料などを今日の美術博物館的な考え方に立って集大成したものである。その総数は2000点を超え、10箱と付属2箱に収蔵されている。1号箱は紙・木・竹・革・漆・織物・打糸等の見本、2号箱は羽織や甲冑や馬具の絵図等、3号箱は金具類・釘隠(くぎかくし)・引手(ひきて)・棚金具の類、4号箱は金具・根付・琥珀・真珠等、5号箱は、釘隠と引手、6号箱は特別な釘隠、7号箱は金具・釘隠・引手等、8号箱は擬宝珠(ぎぼうし)等、9号箱は製本模型と焼印、10号箱は百工比照参考書等、2つの付属箱は金具類等がそれぞれ納められている。島崎氏は、百工比照は未完であり、綱紀公は、歴代当主が引き継いで充実させることを期待されていたと推測されている。

 文化庁長官を務められた青柳正規石川県立美術館館長は、石川県の伝統工芸のルーツは百工比照にあるといっても過言ではないと述べられている。同美術館の村瀬博春氏は、その編纂について、江戸初期に幕府と微妙な関係にあった前田家が、武力から文化力へと舵をきるに際して、工芸はハードな力の支えになるとの認識があり、また、その背景には治世上の哲学的な理念があったとみておられる。さらに同氏は「百工比照」という綱紀公の命名自体、フランスのディドロ、ダランベールの「百科全書」の理想に通ずるものがあるとされ、それに先立ってこの編纂事業を行われた綱紀公の先進性を強調されている。

 百工比照には引手や釘隠が目立つ。綱紀公の祖父利常公が隠居された小松城では、本サンプル集に残されている見事な引手や釘隠が使われていたようだ。それが広く一般にも伝わったのか、庶民も引手や釘隠に意を用いたように思われ、私の祖父も引手にこだわって、今も小松の我が茅屋の襖には不釣合いな引手が使われている。しかし、引手の止め釘は出たまま、釘隠は外れたままになっていて、自分のズボラさを恥ずかしく思うことしきりである。(2021年10月19日記)       

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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