尾山神社金渓閣の本因坊戦

 伝統ある囲碁本因坊戦挑戦手合の第1局は、この10日と11日に金沢尾山神社の金渓閣で行われた。タイトル保持者は本因坊文裕すなわち井山裕太名人で、挑戦者は一力遼棋聖。対局は総手数357手を数える大激戦で、井山裕太本因坊の半目勝ちであった。

 この棋戦の主催は、毎日新聞社と日本棋院、関西棋院。毎日新聞社取締役常務大阪本社代表の丸山雅也氏、日本棋院の小林覚理事長(九段)、関西棋院の榊原史子常務理事(六段)が顔を揃えられた。立会は羽根直樹九段、記録係は鶴田和志六段と稲田陽五段、新聞解説は小県真樹九段、大盤解説は山城宏九段で聞き手は金沢のカルチャースクール石心席主佃優子さん、ネット中継「幽玄の間」の解説は高尾紳路九段で、聞き手は佃さんの妹さんの佃亜紀子六段。日本棋院関西総本部から後藤俊午九段も駆け付けられ、錚々たる高段棋士が金沢に集まった。対局前日の9日、両対局者は、本因坊算砂の碑の立つ金沢本多町の本行寺を訪ねたあと、尾山神社に参拝、その後、金渓閣の対局場と碁盤碁石等を下見検分された。対局室の白藤の間は、正面に高い金屏風が立てられ、その左右には几帳が張られて、金沢らしい雰囲気が醸し出されていた。

 いよいよ当日。晴れ上がった青空の下、尾山神社金渓閣と宿泊場の金沢ニューグランドホテル一帯は緊張感に包まれた。対局室に主催者代表や立会人、記録係などが着座したが、そこに前田家第18代御当主前田利祐本会名誉会長が加わられ、関係者は、前田家とも関係のあった本因坊の歴史と金沢対局の意義について、認識を新たにすることとなった。

 やがて登場した井山一力両対局者が席について、先手後手を決めるニギリを行い、井山本因坊の先手と決まった。厳粛な空気が流れる中、立会人の声で、初手が打ち下ろされ、2手目の白石が打たれて熱戦の火蓋がきられとところで、記録係以外は退席した。

 対局室の様子が写るモニターテレビの置かれた控室では、小県九段を中心に局面の検討と解説が始まり、一手一手の意味の深さに感心するばかりだった。「幽玄の間」ネット中継では、提供される食事やおやつを含めてアマチュアのレベルに合わせた質問を、独特の切り口から矢継ぎ早に投げかける佃六段と、すばらしい知性と底知れぬ棋力で、時によどみなく、時に少考してそれに答えるかつての本因坊名人高尾九段の間で交わされる問答は、巧まずして演じられる極上質の漫才のようで、抱腹絶倒して聞き入った。高尾九段は金沢には頻繁に来られており、解説の合間に誠に適切な金沢紹介をされていた。

 かくして一日目は、夕刻に一力挑戦者が着手を封じて終了し、対局者はよく休んで二日目。封じ手が開けられ、激しい盤上の戦いが続いた。午後からはニューグランドホテルでの大盤解説が始まり、山城九段と佃さんのかけあいに数十名の囲碁ファンは最高の対局の醍醐味を満喫した。羽根九段や後藤九段、佃六段も大盤解説に顔を出されたが、参加したファンが対局者の着手を当てる「次の一手」の出題のタイミングがとりにくいほど局面が動く大熱戦が長く続き、終局したのは午後9時34分。半目差の勝負を、比較的早い段階で予言された解説者のヨミには驚くしかなかった。かくて、金沢対局は、天下のファンが堪能し、利家公も十分楽しまれたであろう好勝負になったが、この棋戦は七番勝負であり、これからも各地を転戦して名勝負が展開されるであろう。私はささやかに佃優子さんのお手伝いをした関係で、対局の雰囲気にどっぷり浸かる光栄に浴した。

 本欄で囲碁と将棋について何回か書いたが、これからは、「絆」の誌面からネットの「石川県人 心の旅」に移って碁将棋の素人談義を重ねたいと思っている。(2022年5月19日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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