2024.10.23 15:00変わらない故郷 9月下旬の輪島市、奥能登を襲った水害には言葉を失った。1月1日の地震で大被害をこうむり、その復旧に全力傾注の最中に襲来したこの水害は14人の方々の貴い命を奪い、安否不明の方もあると報じられた。家屋は破壊され、水浸しとなり、多くの方々が生活の基盤を奪われた。重なる災害で生命を失われた方々の御冥福をお祈りし、県民県人の全力傾注によって能登の復興の速やかならんことをただただ願っているが、かく述べても、我が意には足りない。天災の破壊力のすさまじさが脳内に刷り込まれ、なぜ一年に二度なのかという思いが胸中にわだかまったままなのである。 「天地有情」、我々の世界は生きとし生けるものに満ちている。この言葉は、極めて高名な詩人、俳人、そして政治家がそれぞれ用いて、自ら...
2024.06.23 01:20地震からの復興と郷土訪問 今月3日の朝6時半頃。地震アラートに驚かされ、すぐテレビを点けたら、富山湾が震源の地震の警報だった。スワ能登半島地震の再来かと、不安になって画面を見つめたら、6時31分震度5強の地震が能登半島の珠洲市や輪島市を襲ったことが報じられた。東京では全く振動を感じず、能登や富山での揺れも予知したものほど大きくはなかったようだが、やはり被害はあったと報じられた。1月1日の地震に関連した揺れとのことだったが、ともかく、早くこのように奥能登で地面が動く状況が収まることを祈るばかりである。 今、急がれる能登半島地震からの復興についていは、全国の方々に心を寄せて頂き、応援を受けながら、石川県挙げて懸命に取り組んでいるが、石川県立美術館をはじめ関係機関の協力のもとで前田...
2024.04.24 01:21延伸北陸新幹線の車窓 北陸新幹線が金沢以西に延伸した3月16日から2日後の18日。私は東京駅から延伸北陸新幹線に乗り込んだ。翌朝、公立小松大学の用務をこなすための小松までの直行である。この日、東京の用事はやや早く終わったが、乗継無しの「かがやき517号」で小松まで直行したかったので、19時56分の発車時刻を待った。勇躍乗った延伸北陸新幹線は、窓の外が真っ暗で、東京から金沢まではウツラウツラ、金沢を出たので目をカッと見開き、懸命に車窓を覗いた。外は暗くてよく見えない。しかし、遠く近くに見える灯りの感じで、列車が在来線と違うところを走っていることは認識できた。 翌日は、早朝から公立小松大学の仕事をして、大学隣接の小松駅から東京まで乗継無しの11時45分発「はくたか562号」に...
2024.03.23 15:00北陸新幹線延伸開業とアンテナショップ 石川県は能登半島地震からの復興活動で忙しいが、そんな中で、3月16日。ついに、北陸新幹線の金沢敦賀間が開業した。「かがやき」、「はくたか」と「つるぎ」は金沢から南西に向かって走り出したのである。この日、私は小松にいたが、小松駅周辺は新幹線の列車に乗る人、見る人、そしてそれを祝う人々で大賑わいで、テレビは、金沢、小松、加賀温泉、芦原温泉、福井、越前たけふ、敦賀の各駅の報道を続けた。この日の夜の帰京の際には、新幹線に乗りたかったが、大変な人気で、切符がとりにくいようだったので、空路を使った。これからの東京・小松の往復には、「はくたか」で直行するのを楽しみにしている。北陸新幹線の延伸に関しては、来月、詳しく述べるとして、今月は、3月9日の石川県アンテナショ...
2024.01.26 06:03能登半島地震と復興 新年おめでとうございます。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。 今年は大変な新年になった。元日の午後4時10分、突如我が故郷を襲った能登半島地震は、県民と国民全体の正月の穏やかさを一変させた。最大震度7は、平時には考えられない揺れである。震度6強でも、立っていることができず、這わないと動くことができず、壁のタイルや窓ガラスの破損、耐震性の低い木造建築は傾き倒れ、大きな地割れが生じ、山体の崩壊が発生することがあるほどの状況であり、震度7では、これらの被害がさらに大きくなって、鉄筋コンクリート造りの建物でも耐震性が低ければ倒れるものが多くなるというような被害と解説されている。能登の最大被害はまさにこのような状況であり、地震の被害は、輪島市、珠洲市、能...
2023.12.23 15:00ベトナム石川県人会との交流 先月28日から今月3日まで、石川県人会では、14名でベトナムを訪問し、ベトナム石川県人会の方々と懇親、交流する会合を持った。忙しい旅程の中、一同元気で無事所期の目的を達成し得たのは何よりで、これもベトナム石川県人会や関係の皆様、近畿ツーリストの北沢氏、添乗員の吉田さんのご尽力の賜物と深く感謝申し上げる。 一行は、中部ベトナムの大都市ダナンでベトナムに入った。この町は南シナ海に面する大リゾート地でもあって、長く続く砂浜は見事だ。我々は、そんな海辺のホテルで春巻きなどの美味しいベトナム料理を味わい長旅の疲れを落とした。翌日訪れた大理石と岩窟寺院で有名な五行山では、多くの仏像がある中で、二人の老人がベトナム将棋を指している像に目を引かれた。ベトナム将棋は、...
2021.07.18 12:37加賀能登の住みよさ コロナ禍がなかなか収束しない状況下にありながらも、石川県人会は、5年に一度の全国大会を輪島で開催すべく準備を進めている。首都圏では、各市町のふるさと会や、現居住地毎の県人会の会合が中止される中にあって、5年前は金沢市で、そのまた5年前は加賀市で開催した全国大会は、国内各地や外国に住む県人が、故郷に集う貴重な機会なので、輪島市や石川県の方々と協力して、可能な限り開催目指して努力したい。今回は外国からの参加は難しいが、ワクチン接種がかなり進んでいることもあり、工夫を重ねて開催にこぎ着け、懐かしい故郷の土を踏み空気を胸に入れたいが、何が何でも決行するということではなく、コロナの感染状況を見ながら、弾力的に対応したい。 我々が故郷を懐かしく思うのは、体も頭も...
2017.06.20 14:15三丘二水の燕台 去る6月3日に開催された尾山神社の封国祭と百万石祭りは、天候にも恵まれて、盛大にそして成功裡に行われた。参列した我々石川県人会のメンバーは素晴らしい時間を過ごし、故郷の良さを改めて堪能した。私は、昼の前後に、百万石茶会の茶席を訪れ、薄茶をよばれて、心の塵を鎮めた。当日、いろいろと県人会のお世話をしていただいた関係の皆様に厚く御礼申し上げる。 さて「燕台」という言葉がある。近年はほとんど用いられていないようだが、これは「金沢の町」を意味する言い方、つまり金沢の別の表現であり、地形からきている。 いうまでもなく、金沢は、台地の先端に位置しており、卯辰山、小立野台、寺町台の三丘陵の間を犀川、浅野川の二川が北西に流れ下る、いはば、三丘二水の地である。二水と言...
2017.03.20 14:11青年部長の結婚 3月12日、石川県人会青年部のリーダー森田銀太郎さんと早坂純子さんが神田明神で結婚式を挙げられ、同日夕方、明神下の金沢乃家で披露の宴を催された。私ども県人会会員は、お招きを受けて大勢が馳せ参じ、お二人の末永いお幸せを祈りつつ、門出を心から祝福した。お二人の仲をとりもったのが、県人会の本田ゆり子事業委員長であるのも、嬉しいことだった。 披露宴はおおいに盛り上がり、私も中締めの言葉を述べる役目を堂々と果たしたかったが、若いみなさんのエネルギーに圧倒されて、萬歳三唱の大声を出すのがせいぜいだった。そこで、ここでは、当日私が言いたかったことを記させていただく。 まず、お二人には健康に十二分に留意して頂きたいことである。健康が幸福の基礎というのは、月並みな表現...
2016.10.20 14:01金沢舞囃子「獅子」 先月25日、全国石川県人会連合会の金沢大会を盛会裡に開催することができたのは、開催都市の金沢市、そして石川県の御当局の御尽力を賜り、各地県人会の関係者が一丸となって努力した結果であり、私としては、ただただ感謝申し上げるだけである。これを機会に石川県とそれぞれの県人会と県人の一層の発展を期してさらに結束を固めていきたい。 さて、金沢大会の懇親会の幕は、金沢市の御配慮により、金沢素囃子「獅子」によって開けられた。この幕開けは、私は特別にありがたく、また、嬉しかった。 時は、江戸時代の末期、弘化5年。江戸時代には、能の四座(観世・宝生・金春・金剛)一流(喜多)のうち、観世大夫のみが一世一代勧進能という極めて規模の大きい能の興行を行うことができ、江戸期を通じ...
2016.09.20 14:00参勤交代ルート 今月25日、石川県人会連合会の全国大会が金沢で開催される。5年に一度のこの大会で、各地の県人会の旧知の方々や故郷の友人たちと旧交を温め、石川県と全国全世界の県人の一層の飛躍を期したい。また、10月21日には東京目白椿山荘で「いしかわ県人祭in東京」が予定されているので、さらに県人の結束を高めていきたい。 そんな中、金沢美術工芸大学出身者による「東京けあき会」の会長で、石川県人会広報委員会副委員長の黒沢淳一さんが、10月に東京から金沢まで藩政期の参勤交代ルートを歩くという計画を進められている。江戸時代、このルートは下街道120里と言われ、参勤交代時には、12泊13日ほどで踏破したようだが、今般の黒沢氏のコースは510キロあまりと若干長く、これを約25日...
2016.02.10 13:19ニューズレター創刊 北陸新幹線金沢開業によって、故郷石川県への訪問者が画期的に増えてから一年。この殷賑を長く県勢の発展に繋げていくため、我々石川県人会も、気持ちを新たに努力していきたいと存じます。今年は五年ぶりの全国大会も予定されております。そこで、今般、ニューズレターを発刊することに致しました。これにより、県人相互の連絡がより緊密になって、結束がさらに強まり、県人会活動がさらに活発化することを願っております。皆様、どうか、末永くこのニューズレターを可愛がって下さい。(2016年2月10日記)