前田利為公

 今月12日、目黒駅から権之助坂を下って目黒川沿いに目黒区美術館に向かう私の足は、年齢に似合わず軽かった。2月13日(土)から3月21日(日)まで、この美術館で開催される「前田利為-春雨に真珠をみた人-前田家の近代美術コレクション」の内覧会で早く展示を見たかったからである。膨大な前田育徳会所蔵品の中で、前田利為公が、その卓越した鑑識眼で収集された近代美術もすばらしい。この度、目黒区と目黒区芸術文化振興財団・目黒区美術館の主催、花王芸術・科学財団の助成による展覧会で、それが多くの方々にご覧頂けることになった。関係の皆様の御尽力に深く感謝している。前田育徳会は、本会名誉会長前田利祐御当主の御意向に沿い特別協力としてこの展覧会の全作品を出品させて頂いた。

 前田利為公は、現御当主のおじいさまで、「としなり」とお読みする。前田家の支藩七日市藩のお生まれで、前田家第15代御当主前田利嗣公がなくなられる直前に、渼子(なみこ)令嬢と将来結婚することを前提に、養子に入って第16代御当主となり、陸軍士官学校から陸軍大学校を出られ、陸軍軍人として国内外で活躍された。1923年に発生した関東大震災の惨状と被害を目の当たりにされた利為公は、前田家が所蔵する莫大な古文書書画骨董を確実に後世に伝えることを期するため、1926年に公益法人育徳財団を設立され、これが今日の公益財団法人前田育徳会となった。さらに、東京帝国大学から東大駒場用地との土地交換の話があったのを機に、駒場移転を決断され、1928年に育徳財団建物、1929年に本邸洋館が、1930年に本邸和館が竣工した。

 利為公は、極めて多用な軍籍にありながら、前述のように近代美術の収集に努められ、ルノワールの「アネモネ」などの洋画、ロダンの助手だったポンポンのシロクマなどの彫刻、竹内栖鳳、富岡鉄舟、横山大観、下村観山達我が国大家の名画が揃っていて誠にすばらしい。これが藩政期から伝わる古文書や美術工芸品とともに前田育徳会の極めて厚みのあるコレクションを形成し、多くの方々の鑑賞や研究の対象となっていて、今に生きる我々は、前田利為公から筆舌に尽くしがたい大きい恩恵をこうむっている。この展覧会は、70点ほどが、見やすく疲れないように展示されているので、皆様には是非御覧頂きたいと願っている。

 今月で、ニューズレター「絆」は創刊以来満5年を迎えた。今月号は61号である。これが5年間続いてきたのは、編集者新田義孝専務理事のたゆまぬ御尽力のお蔭であり、深く感謝申し上げる。私は毎号駄文を草するだけで、たいした貢献はしておらず、忸怩たる思いである。今後、この「絆」が、石川県人結束のために、その名前通りの役割を果たし続けていくことを期待している。

 今日からワクチンの先行接種が始まった新型コロナウイルスは、新規感染者数は減ってきたものの、東京都等10都府県ではいまだ緊急事態宣言発令中であり、石川県では、クラスターも出ているようだ。沈静化を目指した緊張と努力をさらに続けたい。こんな願いを込めて私が今年の年賀状に書き付けた五言絶句風の漢字の羅列と七七七五を紹介して本稿を締めくくりたい。「梅香 鐘声祈鎮疫 迎歳感懐新 草屋窓梅馥 招来静泰春」[コロナ鎮める 祈りの鐘を 聴く年明けに 薫る梅](2021年2月17日記)

  

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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