あけましておめでとうございます。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
新年になってもコロナ禍は下火にならず、ますます燃えさかっている。7日には、一都三県に緊急事態宣言が発出され、さらに追加があって現在11都府県が対象になっている。真剣なコロナ感染防止努力の根気強く継続しなければならない。辛いことではあるが、私たちが幸不幸いろいろな局面に逢着することは避けがたい。
昨年暮に、自治医科大学学長の永井良三先生から、16世紀のイギリスで出版された「知識の城(The Castle of Knowledge)」と題する天文学の書物の扉絵について教えて頂いた。絵は、中央には「知識の城」が描かれ、それを挟んで二人の女性が向かい合うように立っている。左側の女性は、安定した四角い台の上にいて、右手にコンパス、左手でジャイロスコープか天球儀のようなものを持っている。右側の女性は、裸足で目隠しして丸い玉に乗り、操舵輪に似たものを持っている。両方とも運命の女神である。神様だから二人ではなく二柱と言うべきかもしれない。左はギリシャ神話のウラニアという女神で、持ち物は「運命(Destiny)の天球」、必然の運命を所掌し、「その統治者は確固たる知識」と書かれている。右はローマ神話のフォルトゥーナという女神で、持ち物は「運命(Fortune)の輪」、偶然の運命を掌っており、「その支配者は無知」と書いてある。中央下部には「どんなにフォルトゥーナが運命の輪を操っても、天球は確固として動く」という趣旨の文章が記されている。
フォルトゥーナは、英語で「幸運な」という意味を表すFortunateの語源となった女神であるが、その掌る運命は、偶然に左右されるもので、玉に乗っているように変転極まりない。ローマの大政治家ユリウス・カエサルが元老院への出席途上この女神の神殿近くで暗殺されたのは象徴的かもしれない。フォルトゥーナ女神の像には、底の抜けた壺を持ち、羽根の生えたサンダルを履く姿のものもあるようだ。幸運は、羽根が生えているように逃げやすく、また底の抜けた壺のように、中身が満ちることのないのを示唆している。
我々が幸運を逃がさないためには、まず幸運を得なければならないが、「幸運の女神は前髪しかない」という言葉がある。これは、チャンスが来たときに、すぐに掴まえなければ逃げられることを示しているが、この言葉は、レオナルド・ダ・ヴィンチが言い出したものともされ、後髪のないのはこの女神ではなく、ギリシャ神話のチャンスを司るカイロスのことと言われている。
近代科学は、必然性の法則を求めて進歩をしてきたが、日常の出来事は、必然の海のしぶきかうたかたのような偶然の重なりといえるかもしれない。しかし、我々は、直接的にはそれに動かされて生きている。よって、偶然が左右する事象にしっかり取り組むことが重要であり、そのためには統計を駆使した膨大なデータの蓄積と活用こそが、新しい科学の一頁を開くというのが、永井先生が説かれるところの一端であろう。
この世には嘆くことすらできないほどの不幸は多いが、我々がこの地球上にあること自体、あるいは地球の存在そのものが、大きな幸運なのかもしれない。私達は恵まれた幸運を十分に享受しつつ、それが球体の上のように不安定であることを弁え、コロナ禍の如き大災害に見舞われても、それを客観的に受け止めて、この世に生きる意義と生存のための知識と行動を積極的に追求し、運命を切り開く努力を続けなければならないというのが、先生が示されたこの絵の教えるところではないかと私は解している。(2021年1月17日記)
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