階段とエスカレーター

 相変わらず、石川県と東京を激しく往復している。北陸新幹線も使うし、飛行機のお世話にもなる。今月の北陸新幹線の運休には大きな影響を受けたが、25日に直通再開と聞いてホッとしている。長距離移動は平気であるが、脚力の衰えとともに、階段とエスカレーターの昇降が負担になりつつある。

 かつて、私の恩師で東大総長を務められた向坊隆先生は、八十歳近くでの頻繁な海外出張中、何度か階段で転倒されて、その都度、加齢が加速するようにお見受けしたので、奥様同伴を強くお勧めしたが、私もそれに近い歳になった。これまで階段では転ばなかったが、この9月1日に階段の無転倒記録が途絶えてしまった。新宿の京王線からJRに乗り換える下り階段で、靴がつんのめって大転倒し、階段を米俵のように転がり落ちたのだ。すぐ後ろを歩いていた妻は、驚愕して駆け下りてきた。もう駄目だ、大怪我必至だと思ったようだ。眼鏡は吹っ飛んだ。しかし、誠に幸運なことに、左右の膝と左脇腹を打撲しただけで、出血はなし、眼鏡も割れず、服は破れず、後遺症もなかった。周りの人を巻き込むこともなかった。しかし、以後、妻の言葉で、靴は軽いものに替え、階段を下りるときには、なるべく手すりに掴まるよう心がけている。

 動かない階段でもこのザマだから、動くエスカレーターはさらに容易でない。乗るときは、しっかり手すりに掴まっている。そもそも、エスカレーターは歩くものではないようで、駅などでは手すりに掴まって歩かないようにと注意書きが出ていることがあるが、急いで歩く人はいつも居る。

 私は明大前駅で、京王線から井の頭線に乗り換えるエスカレーターを頻用しているが、時に、どっどど、どどうどと宮沢賢治が表現した風の音に似た音とともに大きな若い男性が駆け下りてくる。カタカタカタカタと昔の旅館の便所下駄のような音をたてて急ぐ女性もいる。吹っ飛ばされないよう、手すりを握る手に力が入る。やはりエスカレーターは歩いたり駆けたりしないでほしい。しかし我が妻は、急ぐ人が少しでも移動時間を短くしたいと駆け上り、駆け下りるのは理解できるという。私はそうは思わないが。

 私は、これまで、エスカレーターでは無転倒で、事故に巻き込まれたこともないが、それに近いことが二度あった。一度は、京王新線のエスカレーターで、左側に立つ私の横を、若い男性が左手を振って急いで駆け上がってきて、その握りしめた拳が私の右肩をかすめ、前の初老の男性の右脇腹を直撃した。若い男はすぐ謝ったが、初老の男は勘弁せず、横に止められて延々説教され、踊り場に来てもすぐには釈放されなかった。今一度は、新宿のJR地下道を歩行中、エスカレーターから大きめのキャリーバッグがガタガタガタと私のすぐ近くまで転がり落ちてきた。そのあとを若い女性が陳謝の言葉とともに駆け下りてきたが、急いでエスカレーターを下りようとして足を踏み出した瞬間にバッグの取っ手から手が離れたようだった。

 とまれ、階段もエスカレーターも、我々が移動する限り、付き合わざるを得ない。私が好きなのは、ホンダ八重洲ビルの玄関奥にあるゆったりカーブした階段だ。本田宗一郎氏の好みか、藤沢武夫氏の考えか、垂直部分である「蹴上」が低くて、水平部分たる「踏面」が踏みやすく、茶色の大きい手すりは掴まりやすい。この芸術的階段も八重洲の再開発ともに姿を消す可能性が大きいとか。本田財団に行くごとに、無量の感慨を込めてこの階段の青い「踏面」を踏みしめている。(2019年10月18日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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