三丘二水の燕台

 去る6月3日に開催された尾山神社の封国祭と百万石祭りは、天候にも恵まれて、盛大にそして成功裡に行われた。参列した我々石川県人会のメンバーは素晴らしい時間を過ごし、故郷の良さを改めて堪能した。私は、昼の前後に、百万石茶会の茶席を訪れ、薄茶をよばれて、心の塵を鎮めた。当日、いろいろと県人会のお世話をしていただいた関係の皆様に厚く御礼申し上げる。

 さて「燕台」という言葉がある。近年はほとんど用いられていないようだが、これは「金沢の町」を意味する言い方、つまり金沢の別の表現であり、地形からきている。

 いうまでもなく、金沢は、台地の先端に位置しており、卯辰山、小立野台、寺町台の三丘陵の間を犀川、浅野川の二川が北西に流れ下る、いはば、三丘二水の地である。二水と言えば、県立高校の名称にもなっており、金沢に多い用水のうち、鞍月用水と大野庄用水の二筋の流れが、武家屋敷の土塀の裾を洗うようにせせらぎの優しい音をたて、観光客に憩いを提供している。

 さて、そのように三つの高台と二筋の川からなる金沢の地形は、大きく俯瞰すれば、燕が羽根を拡げているように見えるところから「燕台」の名が付けられたようである。その地図上の燕はどちらを向いているかと問われれば、頭を山の方に向けているとみるべきなのだろう。

 この「燕台」は、私ども石川県人にとって大切な大先輩のお名前でもある。それは細野燕台という方で、金沢の素封家。漢学者で文化人として広く活躍された。この方は、陶芸、篆刻、書、料理などで多彩な活動をされ、県内にも大きな足跡を残された北大路魯山人を世に紹介した人としても知られている。

 百万石祭りや藩校サミット、そして各種の大会や学会など、今年も金沢が大勢のお客様をお迎えする機会は多いが、我々石川県関係者は、これからますます燕が羽根を拡げるようにして、温かく歓迎したいと思っている。(2017年6月20日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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