仁清の雉香炉を詠む句

 先月、高校同期の集まりで和倉温泉の「加賀屋・あえの風」に泊まった。高校の先輩で観光カリスマと讃えられる小田禎彦加賀屋相談役の講演を拝聴し、宴席が終って、自室に戻り、床の間を見ると、横長の掛け軸が目にとまった。その幅は、石川県立美術館の第一室に展示されている野々村仁清作の国宝の名品「色絵雉香炉」を描いたと思われる絵に「ものの影とがりて見ゆる寒さかな」の句が添えられ、「淳」と署名されている。季が違うなあと思って見ていると、突然感ずるところがあった。この「淳」は、中谷淳子先生のことではないかと。

 中谷淳子先生は、私どもと同年で、能登出身のアーティスト。俳人医師中谷藤房先生の奥様であり、小松に住まわれて、陶芸界で活躍されたが、惜しいことに亡くなられた。淳子先生は、若い頃、小田先輩と青年団活動等をともにされていたと承っており、それぞれの実り多い道を歩まれてきた。そんなことで、淳子先生の作品は加賀屋にも多くあるはずだ。掛け軸の俳句に関して、私がコメントするのは、全くおこがましい限りであるが、「とがりて見ゆる」あたり、いかにも陶芸作家らしい表現であり、多分、淳子先生自らの作ではないかと思った。

 小田先輩は、淳子先生と同年の後輩が集まると聞かれて、歓迎の意味で、今は亡き芸術家を思い起こし、我々の和倉宿泊をより心豊かなものにしようと、あえて季の違う句の幅をかけられたのではないかと勝手に想像した。

 奥様の淳子先生に先立たれた藤房先生は、今も御健在で、医道と俳句道を歩み続けられており、小松で「青梅」なる結社を主宰されている。私のチェコ勤務中、プラハを訪れられ、市内を一望にするプラハ城の高台に登られた先生が、旧制四高の寮歌「北の都に秋たけて」を静かに口ずさまれた場面が忘れられない。先生の詠まれた句のいくつかは、歳時記の中に入っているはずだ。

 最近、テレビの「プレバト」という番組の俳句の時間が大人気で、私の妻も愛聴しているが、夏井いつき先生のズバリと批評される口調や、句の境地を一変させる朱筆の入れられ方が多くの人を惹き付けているようだ。私自身は、俳句に関して、仕事柄よくお目にかかる元東大総長・文部大臣・科学技術庁長官の有馬朗人先生には、俳句や短詩型文芸についていろいろ教えて頂いたし、ごく最近亡くなられた金子兜太先生を記念する雑誌「兜太」の編集長を務める筑紫磐井氏は、旧科学技術庁で私の約十年後輩にあたり、文芸に関してもしばしば議論を交わす仲である。このようなご縁がありながら、私の俳句に関する知識はまことに乏しく、季語にも不案内で、俳句自体は作れない。

 かつて、有馬先生には、金沢学院大学が主催する連句の会で、36句からなる「歌仙」を巻いたとき、「捌き」の役をお願いするとともに「漱石の脳沈みゐる晩夏かな」の発句をいただいた。これは、東大医学部の標本室を詠んだものと思われたので、苦心惨憺した私は「やもり涼しき医学教室」と脇句をつけたが、我ながら、いただけない句であった。これがプレバトなら、たちまち夏井先生に「才能なし」と断じられてしまうこと確実であろう。

 以上、全く私の脳内を駆け巡ったことを独断で字にしたものであり、小田先輩や藤房先生の裏付けを頂いたものではないことをお断りしたい。(2018年10月19日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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