メダルの色と金属の音

 

 先月26日に開いた全国石川県人会連合会の役員会で、今年の全国大会輪島大会の開催をとりやめ、来年に延期することを決めた。極めて残念ではあるが、コロナ対応の重要性に鑑み、このような結論になった。現場で準備を進めてこられた方々には、誠に申し訳ない決定であるが、その分、来年の大会を素晴しいものにしたいと気持ちを新たにしている。

 コロナ禍は二年近くに及びつつあるが、それよりもっと長く感ずる。私は、ワクチン接種は2回済ませ、毎朝、体温と血圧と脈拍を測定し、アルコール瓶を印籠のように腰にぶら下げて、何とか普通に生活を続けているが、外出機会が少ないから、もともとたいしたことのなかった運動機能の衰えが速くなったような気がする。

 この5日、パラリンピックが終了したが、ここでも、ボッチャ銀メダルの小松市出身田中恵子選手をはじめ石川県関係の方々が活躍された。かくしてTOKYO2020は閉幕したが、多くの選手に、金、銀、銅のメダルが贈られるのをテレビで見て、金沢学院大学時代に学生達とメダルの英語表現について話したことを思い出した。金はgold、銀はsilverと分かりやすいのに対して、銅はcopperではなくbronzeである理由についてである。金メダルは銀に金メッキしたもの、銀メダルは銀そのものであるのに対して、銅メダルは銅と錫の合金である青銅、英語ではbronzeを用いるのが一般的であるからというものだ。

 我が国では、金属が色によって表現されていて分かりやすい。金は「こがね(黄金)」、銀は「しろがね(白銀)」、銅は「あかがね(赤銅)」、鉄は「くろがね(黒鉄)」である。「あおがね」なる言葉は一般には使われないようだが、銅と錫の合金の「青銅」はそれに相当するものとも言える。しかし、錫や鉛も「あおがね」と呼ばれることは皆無ではなく、「青金(あおきん)」と呼ばれる金と銀の合金は工芸用に使われるそうだ。

 ところで、TOKYO2020の銅メダルは、我々が知る青銅の色よりもかなり赤いように見える。ネットを探ると、銅メダルに用いられたのは青銅ではなくて、銅と亜鉛の合金である「丹銅」だった。丹銅の「丹」は「赤」の意味であり、これはまさに「赤銅」に通じて、我々の持つ銅の色のイメージに近い。銅と亜鉛の合金は一般には「真鍮(しんちゅう)」であり、英語ではbrassで、この言葉は我々もブラスバンドなどとよく使っている。辞書を繰ると、「真鍮」は亜鉛の含量が2割程度以上のものをいい、それ未満のものは、「丹銅」として、むしろ青銅に近いとみなされるようだ。銅における錫や亜鉛の含有量と名称については日本産業規格ではきちんと決めている。グーグルでは、「丹銅」の英語はまずbronzeとしているほどである。よって、TOKYO2020では「丹銅」の青銅メダルが用いられたが、青銅は銅像や梵鐘などに広く用いられる。

 学生時代に教わった金属工学の権威三島良績先生は、歌の文句の中の鐘の音について「同じ青銅が材料でも、『山寺の鐘』が『ゴーン』と鳴るのに対して、『フランチェスカの鐘』は『チンカラカン』と鳴り、『鐘の鳴る丘のとんがり帽子の時計台の鐘』は『キンコンカン』と鳴る。その違いは鐘の固さにあり、青銅の中の錫が多くなるほど高くて固い音になる。」と言われていた。西洋の教会の鐘は『カランカラン』と鳴る。

 我々の心に響く鐘の音は聞き方も大切というのが我が愚論で、「法隆寺の鐘は子規のように柿を食べながら、遺愛寺の鐘は白楽天の如く枕をそばだてて、姑蘇城外の寒山寺の鐘は張継のように夜半に客船で聴くのが美しい」と思いたい。しかし、かくいう私が、チェコ勤務中、ゆっくりと教会の鐘に耳を傾けた記憶が無いのが残念だ。(2021年9月19日記) 

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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