形質の継承とメンデル

 今年のノーベル生理学・医学賞は、我々ホモ・サピエンスと絶滅したネアンデルタール人との間で交配があり、我々の遺伝子の数パーセントがネアンデルタール人由来であることや、デニソワ人の存在を確認したドイツのスバンテ・ペーボ教授が受賞した。同教授は、前に日本国際賞を受賞しており、同賞を贈呈する国際科学技術財団の関係者の一人として感慨一入である。我々の生命は、遠い先祖から延々と繋がってきたものだ。日曜夜7時半からのNHK番組「ダーウィンが来た」は、およそ生き物は自分の生命を全うし、自分の形質を後世代に繋ぐために全力を尽くしていることを教えてくれる。そのあと8時からの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝・政子から頼家・実朝へ、北条時政から義時そして泰時へと資質の継承とその相違が極めて具体的に描写され興味深い。我々がいかにして先祖の形質を引き継いできたか、その解明に大きな役割を果たしたのが、当時のオーストリア帝国、今のチェコのブルノの修道士で今年が生誕200年にあたるグレゴール・メンデルの実験である。

 メンデルが実験から得た法則は次のようなものである。純粋な系統の丸い種のエンドウと、同じく純粋な系統のシワの種のエンドウを交配する。次の世代のエンドウは全て丸い種のエンドウになる。この世代の丸い種のエンドウ同士を交配すると次の世代では丸い種のエンドウとシワの種のエンドウが3対1の割合で出現する。丸い種は優性、シワの種は劣性の形質である。この法則は、優劣の法則、分離の法則、独立の法則の3つに纏められる。優性劣性というと、両方の形質そのものに優劣があると思われがちなので、最近、顕性と潜性という表現が使われるようになった。

 チェコに在勤中、植物学者として著名な長田敏行東大教授(現名誉教授)を顕彰する式典がブルノで行われ、私も列席するという御縁があって、爾来、長田先生にメンデルの偉大さについて御教示を頂いてきた。メンデルの業績が認知されたのは没後数十年後のことだった。ブルノにはこの偉大な生物学者の名を冠した大学がある。私は、スロバキア大使を兼ねていたため、プラハとスロバキアの首都ブラチスラバを頻繁に往復したが、その中間にあるブルノのメンデルが居た修道院には何度も立ち寄った。

 長田教授は小石川植物園の園長を務められ、小石川植物園後援会会長の役にも就かれていた。2011年の東日本大震災の後、私は仕事の関係で息子の家に仮寓したが、そのすぐ後が植物園で、息子宅から、植物園横の御殿坂を通って伝通院裏に向かい、理事長を務める石川県学生寮に頻繁に通った。そこで、最近逝去された谷口守正先輩が理事長の加越能育英社明倫学館と我が学生寮の統合案を纏めた。往復の途上、時に植物園で休憩した。

 ここには、メンデルが、自分が発見した法則に基づいて品種改良しようとした葡萄の子孫の木が植えられている。そもそも、この施設は江戸時代綱吉将軍の時、現在の地に御薬園が整備されたのが淵源で、吉宗将軍の代に、ここで小石川養生所が開かれ、多くの人々の生命を救ってきた。その後、栄枯盛衰はあったようだが、結局東京大学の理学部に属することになり、ここの井戸で関東大震災の時には被災者に貴重な水を提供した。この植物園では、イチョウの精子など、貴重な生物学上の発見が行われている。

 ここを舞台に活躍され文化勲章に輝いた郷土出身の生物学者藤井健次郎東大名誉教授の大きな業績についても、長田先生から教えて頂いた。その門下から多くの優れた学者を輩出したのも藤井教授の大きな功績であり、同郷の末輩としては、大先輩の思いを胸に科学技術の振興に微力を尽くしたいと思っている。(2022年10月15日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

0コメント

  • 1000 / 1000