テイカカズラ

 9月のある日、県人会の仲間山田外彦さんから牧野記念庭園のパンフレットを頂いた。この庭園は西武池袋線大泉学園駅の近くにある。山田さんは、先々月の本欄「植物と生きる人々」を読み思い立って行ってきたと言われたが、NHK朝ドラ「らんまん」に名残を惜しんでのこととも思われる。同じ時期に私の妻も学生時代の友人で植物に極めて造詣の深い夏目和子さん山崎晃子さん達とこの庭園を訪れたが、その前に彼女達は「ハツユキカズラ」と「テイカカズラ」について情報交換を重ねていた。前者は後者の園芸品種で、いずれも8月に本欄で触れた「ヘクソカズラ」と同じ蔓性の植物、キョウチクトウ科に分類される。「ハツユキ」の方は、私にはあまり蔓性の感じがしない。ちなみに「ヘクソカズラ」はアカネ科だ。5月に咲く「ハツユキカズラ」の小さな花は目立つことなく剪定されてしまうが、夏に出る新芽の中心部は桃色で、全体は雪とまがうように白く、その色が広く愛でられている。「テイカカズラ」の名は百人一首の選者藤原定家から来ている。

 定家は、一般に「テイカ」と音読みされている。百人一首中の定家の歌は「来ぬ人をまつほの浦の夕凪にやくや藻塩の身も焦がれつつ」で、子供の頃の私にとって、歌の内容が全く分からないままに、調べの流麗さからか、百人一首の中で比較的覚えやすい歌だった。大人になって理解したその意味は、「なかなか来ない恋人を『まつほの浦』で待っています。そこで焼く藻塩のように身を焦がしながら」ということで、女性の心を詠んでいる。文字の上からは、現代感覚では男性でもよいようだが、定家がこの歌のもとにした万葉集の長歌から、これは女性の立場で詠んだものと解されている。

 しかし、このような歌を詠む定家もまた、身も焦がれるような恋をする人間であったのか、定家の女性への執着が能になっている。定家が後白河天皇の皇女式子内親王に恋をして、その秘められた恋から、死後、蔓性植物のカズラとなって内親王の墓にからみつき、内親王の霊はその妄執に苦しんで墓から出てきて、読経で一時その苦しみから解放されるが、やがて墓に戻っていくという筋である。この能は「定家」という題名ながら、定家本人は登場しない。恋の執念が謡われ、演じられるのである。

 しかし、実際は、式子内親王は定家より13歳年上であり、定家が極めてやんごとなき年長の皇女に憧れた可能性は否定できないものの、実際に彼が内親王に恋したことについては、歴史は何も語っていないようだ。ただ、「テイカカズラ」と優雅な和名が今に残り、白い五弁の花が我々を遠い王朝の世に誘ってくれるのは嬉しい。

 これに対して「ヘクソカズラ」は、ひどい臭気を想像させて、顔を背けたくなるよう名前ではあるが、我が家にも沢山生えていて、9月には可憐な花を咲かせる。茎を折っても名前ほどの臭いはしない。先々月に御紹介した妻の友人の故立仙美幸さんは、この植物を「ヘクソ夫人」と呼んで、タイトルにこの言葉の入った著書を上梓し、巻き付く相手を真似るのを実証すべく多くの写真を掲載しているが、彼女こそ、「ヘクソ夫人」の受容側他感作用に似た鋭い感受性を有する稀有な人物だったと思われてならない。

 なお、NHKの朝ドラ「らんまん」の登場人物藤丸次郎は、醸造の方向に進み、我が郷土の碩学藤井健次郎博士の牧野富太郎との関係がそれほど描かれないままに終幕となったが、この朝ドラで、藤井博士の偉大さを改めて認識するきっかけが与えられたことに感謝している。(2023年10月2日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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