前田家御当主の継承

 石川県人会名誉会長の前田利祐氏は、11月6日、米寿の賀を迎えられたのを機に、前田家御当主のお立場を退かれ、御長男前田利宜(としたか)氏が第19代を継承された。この継承の儀式として、11月3日、金沢の尾山神社で、加藤治樹同神社宮司以下多くの神職の方々の御奉仕によって、奉告祭が執行され、引き続き同社の摂社金谷神社でも同じ奉告祭が行なわれた。当日は、空が澄み渡った秋晴れの好日となり、名誉会長御夫妻、前田利宜氏御夫妻とその御令息前田利恭(としゆき)氏が神前に並ばれた。前田土佐守家、本多家、横山家、村井家、前田対馬守家の皆様たち八家の方々も式典に加わられ、私ども前田育徳会や成巽閣の役員等も末席に連なった。その後ご一家は野田山の前田家墓所に参拝され、前田利家公の墓前でこの承継を報告された。

 このようにして前田家は新しい時代を迎えられたが、石川県人会名誉会長のお仕事や、関係される団体組織の役職は、それぞれの組織の判断と決定によって、順次引き継がれていくことになろう。石川県や北陸全体の文化活動の基盤を築かれ、我が国の文化興隆に力を尽くされてきた前田家の御当主が、かくして継承されたことは、誠に喜ばしい。新御当主と前御当主のますますのご健勝、ご発展を心からお祈りするものである。

前田家は、初代利家(としいえ)、2代利長(としなが)、3代利常(としつね)、4代光高(みつたか)、5代綱紀(つなのり)、6代吉徳(よしのり)、7代宗辰(むねとき)、8代重煕(しげひろ)、9代重靖(しげのぶ)、10代重教(しげみち)、11代治脩(はるなが)、12代斉広(なりなが)、13代斉泰(なりやす)、14代慶寧(よしやす)、15代利嗣(としつぐ)、16代利為(としなり)、17代利建(としたつ)、18代利祐(としやす)、19代利宜(としたか)と藩主当主が継承されてきている。

 近時、江戸時代の前田家について、加賀藩という表現を用いる場合、初代藩主は利長公であると主張する向きがあり、さらに、初代藩主は利常公とすべきかもしれないという指摘すら見られる。Wikipediaの加賀藩の項を見ると、初代藩主は利長公とされている。広辞苑では、「藩」とは「①江戸時代の大名の領地・組織・構成員などの総称。②1868年旧幕府領に府・県を置いたのに対して、旧大名領を呼んだ公称。」とある。関ヶ原の合戦以前に薨去された利家公は、藩の主であったことはないという主張であろう。しかし、「藩」という言葉は江戸時代の公称ではなく、また、江戸時代の「藩」の淵源は安土桃山時代にみられるという見解もあり、このあたり、歴史研究者の考察はおおいに進められるべきであるが、私はこれまで通り初代利家公、2代利長公、3代利常公とお呼びしていきたいと思っている。この数え方の場合は、「藩主」ではなく「当主」とすべしという主張も、専門家はともかく、私どもは混乱に陥りやすいので、従来の初代藩主利家公以下の表記表現を用いたい。これは、私のみならず、関係の皆様も同じようなお考えではないかと思っている。いずれにせよ、第18代は前田利祐氏、第19代は前田利宜氏である。

  なお、昨年の10月に本欄でご紹介した「尾山神社御鎮座百五十年式年記念事業」は順調に進捗し、10月3日には式年大祭が行われ、「尾山神社の百五十年」が北國新聞社から刊行された。この書でも、「初代藩主(藩祖)利家公」が前提の記述が行われている。多くの方々からこの事業にひとかたならぬご尽力を賜ったのは、誠に有り難いと思っている。(2023年11月18日)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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