北斎と広重

 先月27日の我が国の衆議院議員選挙と今月11日の首相指名選挙、今月5日の米国大統領選挙と世の耳目が集中する大きな政治的選択が行われたが、その間も、私が役員を仰せつかっている前田育德会は、前田家ゆかりの美術工芸品古文書などの維持管理展観という常日頃世間の目を引かない地道な任務に懸命に取り組んできている。これもとても大切な仕事であり、私は役目柄、美術関係の知識を蓄えるべく努めているものの、蝸牛の歩みだが、このところ、山田五郎のyoutube「オトナの教養教室」をよく見ている。

 山田五郎氏は、長年講談社で活躍し、テレビにもよく登場されているが、極めて博識な方であり、その口から発せられる言葉は古今東西の美術に及んで、視聴する者を飽きさせない。フランスの画家アンリ・ルソーに関する4回をはじめ、西洋美術の紹介は分かりやすくて面白く、大人気を博しており、いずれも本欄でも書きたいが、ここでは、我が国の浮世絵作家葛飾北斎と歌川広重について語られた回を紹介したい。

 46枚の「富嶽三十六景」を描いた葛飾北斎。55枚の「東海道五十三次」を描いた歌川広重。我が国の誇る浮世絵風景画家である二人に関して、山田五郎先生は、「天気でよみとく名画」の著者で絵画に造詣の深い長谷部愛気象予報士とともに、気象の切り口から両者を論じておられる。まず、北斎広重のどちらが好きかと訊かれた五郎先生は「頭では北斎、気持ちは広重」。長谷部予報士によれば、雲の表現では、「形の北斎、色の広重」であり、やはり「デフォルメの北斎、写実の広重」。北斎の「凱風快晴」に描かれた「うろこ雲」は、実際あんな形になりうることと、広重の「亀戸梅屋鋪」の夕焼けの色も、あのように上が赤く下が薄くなる現象が起こることを写真で示された解説に感激した。

 広重に関しては、東海道五十三次の「蒲原」の雪深い静けさや「庄野」の驟雨の坂道を急ぐ人々の姿、木曽街道六十九次の「洗馬」の柳がそよぐ抒情性など、その絵は私達の心に深くしみこむ。広重の絵は、かつてマッチ箱の絵にも使われていたが、五郎先生は永谷園のお茶漬けを買うと貰えたと述べておられる。広重の絵を見ると、子供の頃に聞いた懐かしい歌を思い出す時のように、胸がキュンとする。五十三次の宿場町は、今は、それぞれ発展して、景色そのものは広重の時代から大きく変わっていることが多いだろうけれども、そこにお住まいの方々にとっては、広重の絵はとても嬉しいと思う。

 北斎は、「富嶽三十六景」で3役と言われる「凱風快晴」、「山下白雨」、「神奈川沖浪裏」をはじめ、いろいろ変化する富士山の姿をいろいろな方向から描き尽くしている。私が特に面白いと思うのは、富士山に登り、登山中や休息中の人々と岩を描くのみで、富士山の全容が全く見えない「諸人登山」の一枚だ。私の祖父は、家の好い場所に「凱風快晴」の写しを掛けていた。富士山の景色は、我が国を代表し、世界の人々が日本を意識する風景であり、それを大胆にほぼ4色で表現した北斎に憧憬を抱いていたと思われる。「神奈川沖浪裏」は、世界で「モナリザ」に次いで有名な絵と言う人もあるようだ。

 私は「世界に向かって訴える北斎」と「内に向かって心にしみる広重」と纏めたい。東海道が江戸日本橋から京都三条大橋までの五十三次と人口に膾炙しているのは、広重の絵の影響が大きく、江戸と大坂高麗橋の間なら、更に4宿が加わって五十七次であると、最近のNHK番組「ぶらタモリ」で紹介されていた。今更のように、浮世絵の影響力に驚いている。(2024年11月12日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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