11月19日、公立小松大学で北國新聞を開いたら、石川県産業技術専門校の清田敬夫さんが名古屋市枇杷島スポーツセンターで行われた剣道八段の昇段試験に合格されたという記事が目に入った。すばらしい。清田さんは10回の挑戦で合格されたと報じられているが、この試験でも、723人の受験者のうち合格者は10人のみだったという。これは極めて難度の高い試験なのだ。清田さんが今後ますます県内国内の剣道指導者として活躍されることを祈るのみだが、剣道を習ったこともない私が、この試験に格別の関心を持っているのには、以下に記す次第からである。
私の科学技術庁職員時代の上司武安義光さんは、私が採用された時、秘書課長だった。後に科学技術事務次官を務められた武安さんは、身長180センチをゆうに超える偉丈夫だった。私達の良き上司先輩として、公私にわたって御指導頂いたが、後に全日本剣道連盟会長、国際剣道連盟会長を務められた剣道家でもあった。科学技術庁における武安先輩の剣道の後輩は、私より5歳若い佐藤征夫氏で、かつて科学技術政策研究所所長を務め、現在は新技術振興渡辺記念会理事長の職にある。氏は剣道七段で、科学技術振興の仕事に励むとともに、全日本剣道連盟の常任理事や世界剣道連盟事務総長を務めて、武安先輩を支えた。私はこのお二人と食事しながら雑談する機会が多かったが、ある時、私は武安先輩に「佐藤さんが八段になるのはいつですか」と訊いたことがある。すると先輩は「なかなかならないよ」。そのハッキリした言いぶりに私は驚いて、「それはどういうことですか。八段はそんなに難しいんですか」とくってかからんばかりに再質問した。先輩は笑って「そんなもんだ」と軽くいなされたが、横から佐藤氏も「今はとてもとても無理です」と言葉を添えた。そこで、剣道八段の重さが我が胸中にしっかり刻み込まれたのであった。
我が国の武道や囲碁将棋では、段位によって技量の度合いを示すことは誰もが知っている。もともと江戸時代に囲碁の世界で創設されて、将棋に取り入れられ、武道にも導入された。剣道の段位には、以前は九段十段があり、その段位の方もおられたが、武安先輩の時代に規則を改め、八段を最高位をすることが決められたと聞いた。武安先輩自身は学生時代のものを除いて段位称号は持たず、剣道界の制度整備と改革に力を尽くされた。
そんな武安先輩は3年前の2月、惜しまれて100歳で他界されたので、佐藤氏や私は、斯界の重鎮で範士八段日本剣道連盟副会長の真砂威氏達と語り合い、8人からなる編集委員会を組織して武安先輩の追想録を出版することにした。そして今年できあがったのが「武徳薫千載(武徳、千載に薫る)」と題する一冊である。外国の方を含む多くの剣道関係者と科学技術関係の後輩、親族の方々が文章を寄せ、本人の遺稿や年表も入れたから、かなり厚い本となり、値段は2420円プラス送料となった。この書の中の高段者が執筆された剣道に関する記述は、とても価値があると思われ、多くの方々に読んで頂くことを期待している。タイトルの「武徳薫千載」とは、京都にある剣道のメッカ武徳殿に立つ石碑に武安義光先輩が揮毫された言葉である。今月2日、販売状況の確認などのため、編集委員が集まった。委員は私以外は全て剣道八段か七段の方であり、この日も、武安先輩を偲びつつ、剣道の将来について熱い会話が交わされた。聞き役の私は、改めて剣道八段の重みを全身で受け止めつつ、北國新聞の清田八段の記事をしきりに思い出していた。 (2024年12月15日記)
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