3月9日の日曜日、東京大学大学院人文社会系研究科と東京大学文学部が主催して「東大にねむる加賀藩本郷邸と江戸の宴」と題するシンポジウムが東大本郷キャンパス国際学術研究棟で開かれた。東大側の招きに応じて、前田利祐第18代前田家御当主石川県人会名誉会長が参加され、私もお供をした。
このシンポジウムの関係では、我が石川県人会は、昨年、事業委員会の企画「東京大学本郷地区埋蔵文化財キャンパスツアー」で、東大を訪問して、担当の堀内秀雄教授からいろいろお話をお伺した。今年はその続きとして、駒場リサーチキャンパスを訪問する計画が進んだ。実は、東大の埋蔵文化財調査室の建物は駒場にあって、そこに出土品が保存されている。そこで、その現場で出土品を見せて頂くことになった。
かくして、シンポジウム開催の1週間前の3月2日。河口洋徳委員長と寅ヶ口敬祥副委員長に率いられた我が県人会グループ約20人は、駒場第二キャンパスに集まった。私と妻が電車を降りたのは井の頭線駒場東大前駅。すぐ前には駒場第一キャンパス東大教養学部がある。その西隣の大きな一画が旧前田侯爵邸で、洋館と和館が建っていて、戦前の前田侯爵家の様子が偲ばれるが、今は駒場公園となっている。さらにその西側の一帯に、駒場リサーチキャンパスが広がっている。ここは駒場第二キャンパスとも呼ばれ、生産技術研究所や先端科学技術研究センターがある。
そのキャンパスの一角に埋蔵文化財調査室があり、一行は、まず、その建物の前に置かれた沢山の大きな石について堀内教授から説明して頂いた。これらは、本郷の前田邸から出てきたもので、これによって、当時の門扉や建物の姿を推定することができるとのことだ。そして、埋蔵文化財調査室の建屋に入れて頂いて驚いた。膨大な出土品が沢山の箱に入れて何段もある棚に積み上げられ、ところ狭しと並んでいる。溢れんばかりだ。その奥で、埋蔵文化財の発掘について実物を眼前にしながら堀内教授の説明を聴いた。土中から掘り出されるのは、磁器か陶器か土器が圧倒的に多い。木製品は残りにくいのであろう。碁盤や将棋盤や将棋の駒の埋蔵品は見られなかったが、碁石はあった。なお、折敷や木簡などは出てきている。目を見張ったのは沢山の徳利で、完全な姿を留めているものも多くあった。当時の人も、お酒が好きだったようだ。オロシガネのようなものやペット用のお皿もあった。多くの出土品は割れており、それを丹念に継ぐことも行われている。いずれにせよ、埋蔵文化財を発掘するのは大変な根気とエネルギーを要すると思われ、妻は私に「あなたにはとてもできない仕事ね」とささやきかけてきた。
この駒場キャンパス訪問の一週間後に開かれた上述のシンポジウムは、午前10時から夕刻に及び、次のような演題と講演者であった。①「キャンパスにねむる加賀藩邸を起こす」(埋蔵文化財調査室・大成可乃)②「加賀藩本郷邸への将軍御成」(埋蔵文化財調査室・湯沢丈)③「近世考古学研究と大学埋蔵文化財調査室」(早稲田大学名誉教授・谷川章雄)④「殿の宴会、家臣の宴会」(次世代人文科学開発センター堀内秀樹)⑤「江戸の宴、駒込の大店・高崎屋」(文京ふるさと歴史館・加藤元信)⑥「江戸の戯作と双六に描かれた宴」(国文学研究室・佐藤至子)。これによって、シンポジウムの内容が想像できようが、埋蔵文化財の発掘のプロセスと、出土品を元に当時の加賀藩上屋敷の人々の生活に迫る研究成果が紹介された。本郷邸の前の前の上屋敷辰口邸への秀忠将軍の御成、本郷邸への家光将軍、綱吉将軍の御成は、前田家が徳川家との良好な関係を維持する上で大きな行事であり、前田家が文化的な活動によって平和を保つこと、つまりソフトパワーの重要性をよく認識していたと思われる。また、藩主の居住空間と藩士の住まいは別れているので、出土場所の相違と文献によって、殿様の宴会と家臣の宴会の違いが明らかにされ、出土した徳利からも東大農学部前に今もある高崎屋が、当時も前田家への酒の供給源だったことが裏付けられた。黄表紙や滑稽本の絵と文章の解説で、当時の宴会の姿が瞼に浮かんだ。最後にトークセッションでの質疑によって、当時の前田家の状況への理解が一層深まった。
このシンポジウムには、納富信留文学部長や秋山聡副学長、埋蔵文化財調査室長だった芳賀京子教授たち、東大におけるこの分野の責任者が揃われたほか、石川県立美術館館長・東大名誉教授・元文化庁長官も青柳正規先生も顔を見せられた。また、富山前田家と七日市前田家の両現当主夫人達も参加され、多くの研究者や石川県人会メンバーが出席、とても和やかで、よく頭脳が刺戟された一日となった。(2025年3月20日記)
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