大相撲の三月場所で郷土出身の大関大の里が12勝3敗で見事優勝した。優勝決定戦の相手だった高安の健闘も素晴しく、二人優勝を願う思いすら胸中をかすめたが、やはり、郷土力士の優勝はこの上なく嬉しい。これで大の里の幕内最高優勝は3度目であるが、今回は大関での初めての優勝であり、次の場所で優勝すれば、横綱推挙が期待される。これからも、さらに稽古に励み、五月場所で朗報がもたらされることを祈りたい。
大の里は青色のマワシが爽やかである。そして、爽やかさは、マワシだけではなく、評論家の堀井憲一郎氏が書いておられるように、勝負のあとの表情にも見られて、それが何とも言えない。勝ってもその喜びをそれほど顔に出さないし、負けても過度に悔しい様子を見せない。一般的に、勝利の嬉しさを素直に態度に表わすのは自然であり、それが観客の共感を呼ぶことも多いが、大の里のように大きな身体でそれを包み込んで外に出さないのもまた好ましい。これは囲碁将棋棋士の勝負決着の後の態度に通ずるものがある。
大関の出身地津幡は、スポーツの町である。女子レスリング選手で東京オリンピックでは、二人とも金メダルを獲得した川井姉妹、現在の金城梨紗子・恒村友香子さんの活躍はよく知られている。姉の梨紗子さんはリオデジャネイロ五輪でも金メダルを獲得しており、姉妹そろっての活躍は、我が県人のみならず全国のスポーツファンに大きな喜びと力を与えた。
ネットを見ると、津幡高校には保健体育専門のコースがある。この高校は多くのスポーツ分野で好成績を収めており、それは単に運動能力が優れている生徒が揃っているということだけではなく、スポーツを通じて人間を練磨するという大きな目標に向かって生徒も先生も精進を続けている結果であるように思う。
津幡は多方面にいろいろな人材を輩出しているが、わが県人会で長く専務理事を務められた新田義孝氏もこの地の出身である。早くに東京に出て、慶応義塾大学で応用科学を学び、電力中央研究所で電気技術の発展に貢献されて、役員待遇となり、その後、四日市大学の教壇に立たれ、名誉教授になられている。その新田さんが、石川県人会の専務理事の激職を引き受けられたのは、県人会にとって誠に幸運で、以後、県人会活動の発展に大きく貢献されてきた。現在は顧問の役をお願いしているが、新田専務時代には、月刊ニューズレター「石川県人会の絆」の刊行、杉原広報部長との協力による県人会誌「石川縣人」の刷新、研究者、研究組織との協力、諸外国の石川県人会との連絡と台湾県人会をはじめとする現地への訪問と交流など、その足跡は誠に刮目すべきものがあり、県人会員が広く感謝してやまないところである。今後も県人会に対する適時適切なアドバイスをお願いしたいと思っている。
東京津幡会の会長も務められた新田さんは、その姓名から分かるように、新田義貞の御子孫と聞いている。新田義貞は誰もが知る鎌倉時代から南北朝時代にかけて時代をリードした武将で、武蔵国分倍河原の合戦で北条軍を破って鎌倉に進撃し、北条政権を打倒した。今もJR南武線と京王線が交わる分倍河原駅前には新田義貞の大きな銅像が立っている。その新田義貞の紋所は大中黒、丸に太い横一文字の紋である。今も歌舞伎で新田義貞関係の人物が出るとこの紋が使われる。当然ながら、我が新田義孝さんの家の御紋も大中黒とお伺いしており、長い伝統の香りを今に感ずるのである。(2025年4月20日記)
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