私がアンリ・ルソーという名の画家を意識しだしたのは、米大使館に勤務中、ニューヨークでの休みの日に、元東大総長の林健太郎参議院議員のお供で近代美術館を訪れた時であった。その際、ゴッホの「星月夜」の近くにあったルソーの作品を見て、面白い絵を描く画家だなあと思っただけだったが、あれから40年。前田育徳会の役員として、美術の勉強をしなければならないと、ネットで「山田五郎の教養教室」を聴き続けたところ、ルソーに関する五郎さんの説明が素晴らしく面白く、すっかりこの画家の魅力にとりつかれてしまった。
そんな折しも、日本経済新聞の日曜日の文化の頁で4月20日と27日の両日にわたって、ルソーの特集があったので、記事を読みふけった。その中で、ルソーに大きな影響を受けた我が国の画家として、藤田嗣治や岡鹿之助が挙げられており、27日の紙面には、岡鹿之助の「セーヌ河畔」の絵が紹介されていて、山田五郎先生の解説に何枚も出てきたルソーの絵にとても似ていると思った。記事にはマティスに学んだ硲伊之助の収集品の中にルソーがあることも触れられていたが、硲伊之助は、石川県にも関係が深く、小松の初代徳田八十吉と交流があって、晩年、加賀市の吸坂で焼き物に作品を描かれ、海部公子さんと硲紘一さんがそのあとを継いで活動を継続されたが、海部さんは他界された。この方々の作品を、私の叔父が大聖寺の店で商わせて頂いたことが懐かしく思い出される。
さて、ルソーは19世紀半ばに生まれたフランスの画家で、学校で正規に絵画の勉強をすることなくパリの入市税関の税関吏を務めながら日曜画家として審査無しのアンデパンダン展に出品し続けた人物である。彼は、素人画家で、存命中はその作品が一般に評価されることは少なく、嘲笑の対象にすらなり、今もヘタウマ画家とも表現されるが、彼より40歳ほども若いピカソや詩人のアポリネールや画商ウーデにその真価を認められた。特に天才ピカソは、どうしてもまねできない絵を描く画家として極めて高く評価し、終生、彼の絵を4枚所蔵していた。今、素朴派ともいわれて、人々を惹きつけてやまないルソーの絵は、上述のように我が国の大家に大きな影響を与えたため、その作品は我が国内の美術館に比較的多く所蔵されているようだ。ルソーは、彼を高く評価した美術評論家でもあるアポリネールとその恋人の画家マリー・ローランサンの肖像を、「詩人に霊感を与えるミューズ」という2枚の作品によって残しているが、絵の中の二人は、身体が大きいアポリネールと小鹿のようなローランサンとは全く違う姿に描かれている。この二人の恋は、やがて破局が訪れるが、アポリネールがそれを詩にした「ミラボー橋」は、名詩として世に伝わり、シャンソンになって歌われている。
慶應義塾大学の立仙順朗名誉教授の夫人で才能あふれる女性だった美幸さんは、この「ミラボー橋」をよく歌っていたことを、彼女の親友の我が妻は覚えている。先日、立仙教授に電話してアポリネールの果たした文学上の役割について教えて頂いたが、実は私は、立仙名誉教授と美幸さんこそがアポリネールとローランサンのような二人であったと勝手に思っている。名誉教授は長身で美幸さんは小柄、フランス語とともに生きた。もっとも彼らの恋は破局どころか見事に実を結び、二人は千葉の瀟洒な家に住んで、男性は大学で教育研究活動を長く続けてきたが、女性が比較的早く亡くなったのは全く残念というほかない。私は、この二人を小説にしようとプロットを練ったことがあるが、わが能力と時間の不足のため、小説執筆は見果てぬ夢に終わりそうだ。(2025年5月20日)
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