オンライン会議で見る松林図

 コロナ変異株が猛威を振るい、非常事態宣言の発出や延長、石川県等に対するまん延防止等重点措置の適用などによって、オンライン会議が極めて重要になっている。採決時の意思表示の同時性、独立性の確保などの課題もあるが、解消する工夫もされつつある。私は、この種の会議では、カメラ写りを考慮して、自宅から参加する場合でも、リアルの会議に出席するのと同様に、髭をあたり、めっきり淋しくなった頭髪を整えている。実際、髭を剃らない私の顔は、あまり他人様にお見せできない。ゴマ塩髭が、顔の下半分を覆い、やや恐い形相になるからだ。散歩や近所のコンビニに行くときは、その上にマスクをかけるから目立たないが、オンライン会議ではそうはいかない。画面に顔が大きく露出するこの会議のよいところは、自分一人で自宅や個室から参加する場合、マスク無しの顔で表情豊かに話ができることだ。私は、顔のみならず、ネクタイを締め、スーツを着て、画面には写らないズボンも若干気にしつつ、気持ちを引き締めてzoomに写ることにしている。若い人達は、はじめからあまり気張らず、さまざまな服装で画面に現われてきているが、背景には工夫をこらしている。

 背景は、パソコン画像で自由に選択できる。本田財団の若手同僚は、豪華洋室やオシャレな帽子店の店先、ホンダジェット等を背景にしているし、スポーツマンの役員は、競技場のトラックを使っている。ゴルフ好きの友人はペブル・ビーチのコースの写真を用いる。特筆すべきは、斯界の若手として大活躍している狩野岡山大学教授で、最初、庭に面した瀟洒な茶室から参加しているのかと思ったら写真画像だったが、次に枝に雪が積もった日本画に変更した。謂われを訊いたら、狩野派の絵だという。彼はさらに、狩野派に並ぶすばらしい画家の絵も使いたいと、安土桃山時代から江戸時代にかけてあまたの名品を描いた七尾出身の長谷川等伯の「松林図」を用いるようになった。

 私は、東京の自宅から参加する際は、家の中に書斎と呼べる空間を決めていないので、居間でパソコンに向かうが、妻からは乱雑な家の内部があまり写らないようにと注意されている。そんな妻の懸念もものかは、自宅の内部をそのままさらけ出しているが、プラハのカレル橋の絵がごく一部写るようにパソコンを配置している。問題は、小松の旧宅から参加する場合だ。ここは全く和式の家なので、椅子に座らず、畳に大きな座布団を敷き座卓にパソコンを置いているが、背景が他の参加者と違いすぎる。それならば、いっそのこと和風に徹しようと、昨年逝去した高校同級生の茶道教授吉倉虚白宗匠の筆になる「寒山拾得図」の色紙を茶掛けの軸に入れて背景にすることにした。これには箒を持つ唐の詩僧寒山と拾得の絵に「低声、低声、壁に耳あり」と讃とおぼしき字が添えてあり、他の参加者に声がはっきり聞こえるようにと、とかく大声になりやすい自分を戒める色紙として背景にしてきた。セキュリティの警告でもある。しかし、色紙では小さ過ぎるので、今は、北京で買った漢詩の書の大きな幅を掛けている。それは唐の詩人王之渙の五言絶句「登鸛鵲樓」[鸛鵲樓(くゎんじゃくろう)に登る」の詩で、「白日依山盡 黄河入海流 欲窮千里目 更上一層樓」である。『白日 山に依って盡き 黄河 海に入って流る 千里の目を窮(きわ)めんと欲して 更に上る一層の樓』と読み下しているが、宏大な光景を眼前にしながら、更なる絶景を眺めようとするこの一首の詩境は、現在の文明社会を未来に向かって大きく展開したい人々の願いに通ずるような気がして、パソコンに向かう我が心を奮い立たせている。(2021年5月18日記)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

0コメント

  • 1000 / 1000