ネット上のインタビューで、学生時代にお世話になった和敬塾の話をする機会があった。話は、和敬塾の講演会で我が国最初のノーベル賞受賞者湯川秀樹先生が話された中国の古典「荘子(そうじ)」の中の「渾沌(こんとん)」のことで締めくくった。
これは、「荘子」の「應帝王篇」にある話で、その中身は次の通りである。「南海の帝である儵(しゅく)と、北海の帝である忽(こつ)は、中央の帝である渾沌を訪問した。渾沌は歓迎したので、儵と忽は喜び、お礼をしようと思った。二人は相談した。『人間にはみな七つの穴(原文では「竅」きょう)があって、見たり、聴いたり、食べたり、息したりしている。ところが、渾沌にはそれがない。渾沌に穴をあけてあげよう』そして、一日にひとつずつ穴をあけていった。すると7日で渾沌は死んでしまった。」
この寓話は何を意味しているのだろうか。60年近くも前のことで、湯川先生が何を仰ろうとしたかよく把握できなかったが、これを元に、いろいろな発想を自在に展開することの大切さを説かれたものと勝手に受け止めた。「儵」と「忽」は、ここでは固有名詞として使われているが、もともとは、いずれも、「たちまち」とか「すばやく」というような意味だ。それは人工的な営為、はたらきということかもしれない。それに対して、「渾沌」も固有名詞として用いられているが、元の意味は世界が未分化のドロドロしている状態を喩えたもののようである。「渾沌、七竅に死す」と纏められるこの話は、全体として、人間のさかしらによって、混沌とした状態になまじ目鼻をつけようとすると、それはかえって自然の素朴さを壊してしまう可能性があることを暗喩したもののようだ。私のインタビューでは、秩序を強く求めすぎると、かえって、意図に反する結果になってしまう意味で、この寓話を用いた。
さて、インタビューを字にするとき、私は、担当者とやりとりして、名前の部分は「渾沌」、状況を説明する部分を「混沌」と書き分けたが、アップするときの現場の判断ですべて「混沌」に統一されてしまった。和敬塾は、湯川先生から「渾沌」と揮毫された色紙を頂いているので、「混沌」ではうまくないと思い、急いで全てを「渾沌」にしてもらったが、辞書を繰ると「渾沌」と「混沌」は、前者が荘子で名前として使われていることを除けば、ほぼ同じ意味のようだ。にもかかわらず、「渾沌」と「混沌」を使い分け、複雑な表現を試みた私が、むしろ無駄な「竅」を穿ったのではないかという気がしてきた。
いったい、私の書く文章はわかりにくく、読みにくい。二重の意味をひとりよがりで使ったり、若い人がほとんど知らない歴史上の逸話をひいたりして、とても達意の文章とは言い難い。そこで、妻を最初の読み手として、文章チェックを頼むが、妻の反応がまた強烈で、私の執筆意図がくじけそうになることもしばしばある。
かつて、新聞に書いた短い文章で、我が友人のことを「宮司さんの令弟」と記したところ、新聞社の若い記者は「令弟」なる言葉は、あまり使われないし、理解されにくいと、この言葉の変更を強く要請してきて「舎弟」ではどうかと提案され、それには私は強く反対し、結果どう直したかは忘れたものの、ともかく譲歩したのを思い出した。令和の今なら「令弟」の表現も受け入れてもらえたのではないかと思うことしきりである。
(2019年11月17日記)
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