残り少なくなった今年ではあるが、我が石川県人会にとっては、11月には、前田利祐名誉会長御夫妻以下大勢で前田家ゆかりの八丈島を訪問し、宇喜多秀家公の鎮魂祭に参加するとともに、地元の方々と交流し、さらに、17名でプラハとウィーンに旅してプラハ石川県人会と交歓の集いを持ち、音楽を楽しむなど、多彩な行事に取り組み、活発な活動を展開して、新時代令和のスタートにふさわしい年となった。さしたるトラブルはなく、事故なし、病気なしで、これらの長い旅行を催行できたのは、誠に何よりであった。これも、県人会の皆様の日頃の心掛けの賜物であろう。プラハ旅行のお世話を頂いた旅行会社の石川県人北沢達成さん吉田亜紀子さんに心からお礼申し上げたい。
さて、私は、12月1日に帰国したプラハ旅行の余勢を駆って、10日から15日までカンボジアのプノンペンを訪れ、王立プノンペン大学と本田財団によるシンポジウムに出かけてきたが、これまた、お蔭さまで、十二分に所期の目的を達することができた。こちらも、有り難いことに、20人余りの訪問者全員に病気や怪我はなかったのだが、私自身は、現地到着後最初の髭剃で、わずかな顔面の凸部に安全カミソリを引っかけ、若干の出血をして、右頬に大きさ0.3平方センチ程のカサブタをつくってしまった。小さい傷だが、洗面台の拡大鏡で見るとやけに目立つ。同行者達が心配するかもしれない。隠したいと思った。
隠し方を思案するうちに、7年程前、石川県学生寮での仕事の帰り、飯田橋付近で転倒して同じような場所に同じような傷をつくったことを思い出した。翌日には、式典と写真撮影があり、写真は雑誌に掲載される。手で傷を隠しながらトボトボ家に帰って、妻に対処策を相談すると、女性の化粧品ファンデーションを塗ったらどうかという。それがどんなものか全く知らなかったが、妻が差し出したのは、皮膚のような色のドロドロした粘体だった。それを顔のカサブタの上に塗ってみたが、ノリが悪い。うまくいかない弥縫策に、カメラを気にしながらなんとか翌日の式典をこなしたが、撮った写真を見ると、傷はほとんど目立たない。かくして、もともとシワやシミの多い私の顔など、多少の傷があってもなくても、大した違いがないことがよく分かった。そこで、カンボジアでは顔に小細工せずに傷を放置したまま、割り切った気持ちでシンポジウムに出席したのだった。
このシンポジウムでは農業国でもあるカンボジアの青年男女が新しい農業を興し、国を牽引しようと目を輝かせていたのが印象的だったが、ベトナム、インド、ミャンマー、ラオスの若者を交えて行った議論は熱がこもっていた。東南アジア諸国の将来を担う若者の意気込みに感動したが、我が県人会の青年部も、14日に地酒愛好会を兼ねた大規模な県人会忘年会を開催することを思い出した。私の参加したい気持ちは、旅程の都合で叶わなかったが、森田銀太郎青年部長のメールや北國新聞の報道によると大盛会であったようで、本当によかったと思っている。
かくして、令和元年の師走は、慌ただしく過ぎていくが、来年が我が国と石川県と各市町がさらに発展する年であるよう、ただただ念じている。
みなさま、どうかよいお年をお迎え下さい。(2019年12月19日記)
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