変わらない故郷

 9月下旬の輪島市、奥能登を襲った水害には言葉を失った。1月1日の地震で大被害をこうむり、その復旧に全力傾注の最中に襲来したこの水害は14人の方々の貴い命を奪い、安否不明の方もあると報じられた。家屋は破壊され、水浸しとなり、多くの方々が生活の基盤を奪われた。重なる災害で生命を失われた方々の御冥福をお祈りし、県民県人の全力傾注によって能登の復興の速やかならんことをただただ願っているが、かく述べても、我が意には足りない。天災の破壊力のすさまじさが脳内に刷り込まれ、なぜ一年に二度なのかという思いが胸中にわだかまったままなのである。

 「天地有情」、我々の世界は生きとし生けるものに満ちている。この言葉は、極めて高名な詩人、俳人、そして政治家がそれぞれ用いて、自らを表現している。今、天地は、能登をそしてこの世界を無限の情けで包む大きい大きい器と思いたい。李白も言っている、「天地は万物の逆旅」と。「逆旅」とは「宿屋、旅館」。誕生して138億年の宇宙すなわち悠久の天地で、百年に満ちるかどうかの短い生涯を送る我々人間は、一夜の宿を借りるに過ぎない。だからこそ、天地に向かって、私達が温かく休める宿りの場を供して頂きたいと懇願せずにはいられない。それには、私達も安らかな宿りのために全力を尽くさなければならないが。

 ゆえあって故郷を離れた我々県人は、故郷に帰ってその山河を目にすることが極く稀な方もあれば、頻繁に故郷に戻る人もある。故郷の日々が極めて楽しかった方が多いと思うが、故郷での辛い記憶が忘れられぬ人も少なくはないだろう。しかしそんな誰もが国全体の人口減少を意識しつつも、故郷が着実に開けていき、発展の道を歩むことを切に望んでいる。同時に、故郷が自分が過ごした昔と変わらない故郷であり続けることを強く願ってもいる。拓け行く故郷と変わらない故郷。両方を希求することは決して矛盾しない。

 最近、親しくして頂いている能登出身の文筆家皆森禮子さんから1993年に上梓された「能登ぁいらんかね」の2024年復刻版を送って頂いた。能登や金沢の行事や出来事を丹念に書き込んで読者を惹きつける本書の表題は、昭和の始め頃まで、冬の金沢の街で、『能登の人間です、雪下ろしの注文はありませんか』と、出稼ぎの人達が掛けて廻った声とのこと。坂本冬美は「能登はいらんかいね」と歌っている。東京輪島会の会合は、かつて、霧島昇の「誰か故郷を想わざる」で締めるのが通例だったが、その第二コーラスは「一人の姉が嫁ぐ夜に、小川の岸で淋しさに、泣いた涙のなつかしさ」である。能登は優しい。もちろん加賀、越中、北陸全体、そして日本中の人達も優しい。そんな中、今年の地震と豪雨の後では、これまで深く付き合ってきた能登の人達の挙措が、ひときわ胸にしみる。 自然は、人間の尺度をはるかに超える規模で大きく動き、時に山河の様相を変える。大陸移動説は教える。長い長い年月のうちには、我々が不動のものと思いやすい大陸は大きく動いてきたと。その動きは極めてゆっくりしたものかもしれないが、時には、短時間での大変動もある。それでも我々は平穏を願い、自然の変化を超えてウエルビーイングを求め続ける。私達の変わらない故郷を求める気持ちが強ければ強いほど、故郷は私達が期待するように力強く懐かしく発展していくのではないかと思われてならない。(2024年10月17日)

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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