この4月に大学の同級生仲間で会食したが、最近、こんな機会は、大体健康と病気のことが話の大半を占める。そこで、日本原子力研究開発機構の理事長を務めた斎藤伸三氏が、最近「吹き矢」に打ち込んでいると話してくれた。「吹き矢」は、とても健康によいというのだ。ネットによれば、「吹き矢」はスポーツであるとともに、ウェルネスでもあるとされていて、「日本スポーツウエルネス吹矢協会」という一般社団法人が組織されている。「吹き矢」は文字通りに矢を吹いて的に当てる競技であるが、協会のホームページには、「礼をする・構える・筒を上げる・息を吐く・息を吸う・吹く・息を整える・礼をする」という順序で「吹き矢」を行うとされている。的の大きさ、高さ、的までの距離も場合に応じて決められており、技量によって授与される級位段位が定められている。石川県にも支部があって競技会が行われ、今年はテレビでも紹介されたそうだ。
かくして、「吹き矢」がウェルネスに深く繋がっていることに感銘を受けた。「ウェルネス」という言葉は、我々が目標とする「ウェルビーイング」に近い感じがするが、さらに具体的で、日々をよりよく生きるための健康維持増進という意味のようだ。斎藤氏は、吹き矢を行うには、しっかり腹式呼吸をして、「無念無想」の状態になることが肝要と強調していた。これがウェルネスに繋がるようだ。私は、斎藤氏の「無念無想」という言葉から、自分の血圧測定のことを思い出した。
大分前に本欄に書いたように、私は毎朝10回血圧を測定している。10回とはやりすぎのようだが、体調のチェックかたがた、自分の身体と自然のゆらぎが数値化されるのが面白くて、これを続けている。血圧は平静な状態で計測されるべきものと理解しているので、なるべく穏やかに腕帯を装着し落ち着いて測るよう努めている。通常1分に1回計測してそれを繰り返しているが、計測中に、何も考えないで深呼吸を続けていると測定値は低く、何かが頭に浮かび、それが気になったりすると測定値が上がる傾向にあることに気付いてきた。そんなことから、測定中は、脳内から雑念を追い出して、無念無想、無念無想と念ずるのだが、「無念無想を念ずる」も矛盾した言葉であり、それをあまりに思い過ぎるのは、これまた雑念の一種となって、血圧に跳ね返る。
無念無想は、明鏡止水、心頭滅却という四字熟語にも通ずる。明鏡止水は、政治家の出所進退の際に用いられることが多い言葉である。心頭滅却は、織田信長が武田家が支配する甲州に攻め入り、嫡男信忠の軍勢が名刹乾徳山恵林寺を囲んで、山門に火を放った際、寺の快川紹喜国師が「心頭滅却すれば、火もまた涼し」と唱えて火中に身を置き平然と没していったと伝えられる。私は、子供の頃、吉川英治の「新書太閤記」の「火も涼し」の章で深く印象づけられた。後年、級友吉倉虚白師率いる吉祥会が、武田信玄の菩提寺でもあるこのお寺にお世話になってきたこともあって、ここでお茶の大会を開き、ぜひ参加するように誘われたものの、仕事の関係でどうしても行けなかったことが残念でならない。
ともかく、無念無想になることは極めて難しいが、最近は、考えるところ、思うところが全く無くて、頭を使わない人間の状態を皮肉るような用法として、無念無想と表現することがあるようだ。私は、どうも、こちらのことが多いようだが、人間、生きる限り悩みはあり、それが雑念に通ずる。無念無想と愚念雑念の間をゆらぎさまよいながら、人生の幕を閉じることになりそうだ。(2025年7月20日)
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