先日、日経サイエンス2025年11月号を読んでいたら、ある記事に目がとまった。「アマミノクロウサギはゆっくり成長」と題する調査報告の紹介である。奄美群島に棲息する毛が長くて黒く、耳が短いアマミノクロウサギの成長に関する報告で、大略次のような内容であった。
アマミノクロウサギは一般のノウサギに比べて、5倍の時間をかけて成長し、寿命は4倍に達することが明らかになった。このウサギは、捕食者が少ない島の環境で、ゆっくり成長し、長生きすることが確認された。通常のウサギは毎年数匹の子を産むのに対して、アマミノクロウサギは年に一匹しか子を産まない。動物が大陸から離れた島において、その環境に適応して、体や生態が進化することは、「島嶼化」と呼ばれる。島嶼化の例としては、身体の大きさに関して、大型の動物は小さくなり、小型の動物は大きくなるとされる。化石の示すところでは、大型動物の代表たるゾウは、島嶼化により、その祖先のゾウに比べてその体重が100分の1に小さくなり、小型動物のジャコウネズミは、それが200倍に増えていたとされる。この奄美群島における調査によって、島嶼化が成長速度と寿命に及んでいることが明らかになった。
この記事を読んで目を閉じたら、奄美群島のアマミノクロウサギにみられる島嶼化による進化の状況は、我々人類の現況に似たところがあるように思えてきた。
かつて地球は人間にとって無限ともいえる広大さであったが、今や世界全体の人間の数も100億に迫り、人々は大陸間を頻繁に行き来し、物をやりとりして、地球は、すっかり狭くなった。現代の経済規模で人間生活を営む上での資源や環境容量の限界を考慮しなければならない。このことは、1972年に発表されたMITのデニス・メドウスのローマクラブへの報告「成長の限界」が指摘したところであり、この報告は、世に大きな警鐘を鳴らした。人類はその後も経済発展を続けているが、成長の限界とそれへの対応のあり方に関する問題意識は、「持続的開発目標」SDGs17目標の提唱とその達成への努力に繋がってきている。
しかし我々の活動の範囲が地球上だけに限られれば、我々の活動の規模は、地球を巨大な奄美群島にしつつあるようにも思える。総じて言えば、アマミノクロウサギ同様に、我々の平均寿命は長くなり、子供を産むことは少なくなった。
平均寿命の延伸は、すばらしいことだ。人間、この地上に生を受けた以上、生命を全うするのは第一に願わしいことである。他面、自分の形質を後世に伝えるべき子孫の数が減少する傾向が顕著になって、その回復はなかなか難しい。もちろん世界には、平均寿命が短い地域もあり、疾病対策の充実が切実に叫ばれているところも多い。また、人口が増加して、食糧供給に腐心する地域もまた多い。そんな地域や国々については、早期の課題解決に努めるべきであるが、人類全体の大きな流れを見ると、世界的な人口動態は、アマミノクロウサギのような方向に行きつつあるように思える。
しかし、このような言い方は、極めて慎重でなければならない。自然科学での実験や観察の結果を、直接、人間社会にあてはめて、人間のあるべき姿を議論するのは、厳に慎しむべきである。科学的発見の短絡的社会適用は、人間社会を変な方向に導く恐れがある。また、それがはね返って、科学研究に制約をもたらすようなことがあってはならない。その意味で、人類がアマミノクロウサギ化しつつあると、単純に言うべきではないが、この生き物の生態に思わず引き込まれたのである。
それはともかく、NHKの毎日曜日の夜に放映される「ダーウィンが来た」を見るたびに、およそこの世にある生き物は、それぞれ、自己の生命を全うし、種の保存を目指して懸命の営みを続けているのに、感動のようなものを覚える。
AIを創り出した人間には、この先、どのような事態が発生し、どのような世の中が待っているのだろうか。我々には、懸命に思考と行動を積み重ねて現代社会を現出した多くの先人の営みに敬意を表しつつ、今や、それ以上に腰を据えた総合的俯瞰的な思考と行動が求められるように思えてならない。(2025年11月18日)
0コメント