9月は、残暑が厳しかったが、県人会活動も暑さに負けないほど盛り上がった。
19日、東京熊本県人会と共催で、「熊本・石川復興支援チャリティ・コンサートin東京」を四谷区民ホールで開催して、多くの県人の参加を頂いたことがまず挙げられる。これは、本ニューズレター9月号で詳しく報告されたとおり、石川県と熊本県出身を中心とした14人のアーティストによってさまざまな曲がさまざまな楽器で演奏されたコンサートで、聴衆を堪能させた。これは、従来東京熊本県人会が熊本県の地震災害へのチャリティー活動として行ってきていて、昨年は能登半島地震被害に対して義捐金を頂いた。今年は、石川県人会も共催に誘って頂いたもので、守田事務局長をはじめとする東京熊本県人会の皆様には、心から御礼申し上げる。我が県人会でも、中村専務理事、河口事業委員長達が、多くの方々にチケットをお願いし、裏方としても大活躍された。深く感謝したい。
そして、25日。大相撲9月場所の12日目に石川県出身力士の応援のため、県人会関係者40名が両国国技館に駆け付けた。我々の応援の熱意が通じたか、この日、県出身の3関取、輝関、欧勝海関、そして横綱大の里関が全て勝ち、大の里関は5度目の優勝への道が大きく開かれた日となった。この結果は、応援の効果と思いたいが、各関取の日頃の精進の賜物であるのは、言うまでもない。座席の確保その他で、この応援イベントを力強く推進された大湯県人会事務局長のご尽力は、ただただ有り難かった。
かくして9月が去って今月。蒸し暑い日もあるが、季節は着実に廻り、寒くなった。私の家は10月11日から暖房を入れた。また、寒さには勝てないので、コートの類いをチェックした。かつて本欄に書いた古くなって赤味すら帯びた黒レイン・コートは妻に処分され、新しいものになっていたが、とりあえず、その横の愛用の黒いウインド・ブレーカーを引っ張り出した。かくして、衣装ダンスの中を探って黒い衣類に触れたら、有名な「黒を着る」と題するエッセイを思い出した。
これは、女優の高峰秀子が書いた名エッセイで、ネットで調べると、65年前のこととか。大学の入試問題にも使われて、実は、私にも無関係ではなかったようなのだが、それはそれとして、このエッセイは、黒い衣服を着るときの女性の心の動きを巧みに表現したものとして、広く知られている。この素晴しいエッセイと関係はないのだが、私の黒いウインド・ブレーカーは懐かしい。
十年ほど前のことになろうか、西新宿の角筈区民ホールで、妻が登場する合唱コンサートがあり、私も会場に出向いた。ホールの窓から、道路を挟んで若干向こうに外壁が黄色く塗られた「萬年屋」のビルが見えた。萬年屋を経営される県人会仲間の萬年廣人氏が居られるかも知れないと思って、コンサートが始る前に、急いでそのビルに行った。作業服や工事用のズボンがぶら下がり、軍手、地下足袋などが処狭しと並んでいるビルの1階に入っていったが、当然のことながら極めて多用の萬年氏は不在だった。お店の方と話して、五本指の靴下などいろいろの商品を買ったのだが、いくら払ったかは忘れたものの、ともかく、激安であったことが忘れられない。その買物の中に件の黒い化繊のウインド・ブレーカーがあったのだ。極めて軽く、畳むと片手で握れるくらいで、その日はそれほど寒くなかったものの、すぐその場で着用してホールに戻った。公演終了後、五本指の靴下などは、応援かたがた来場された妻の友人達に差し上げた。中には五本指靴下を着用して、その感想を述べられた方もあって嬉しかったが、ともかく、この黒のウインド・ブレーカーを買った日は妻の角筈コンサートとともに忘れがたい。この軽いウインド・ブレーカーは秋から初冬の外出に重宝しているが、自宅では、どうも妻が無断着用しているようだ。ことほどさように、伸縮自在で、軽くてキッチリ寒風を防ぐこのウインド・ブレーカーは優れ物で、こんな製品を製造販売する萬年氏の事業成功は、げにもっともと、着用の度に、敬服の気持ちを新たにしている。
私はこのほか、卒業式や入学式など冠婚葬祭で、モーニングコート、略礼服、まれにタキシードと、黒色の服を着ることはあるが、「黒を着る」のようなエッセイが書けないのは、筆力からして当然のことながら、残念でもある。(2025年10月19日記)
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