加賀能登の住みよさ

 コロナ禍がなかなか収束しない状況下にありながらも、石川県人会は、5年に一度の全国大会を輪島で開催すべく準備を進めている。首都圏では、各市町のふるさと会や、現居住地毎の県人会の会合が中止される中にあって、5年前は金沢市で、そのまた5年前は加賀市で開催した全国大会は、国内各地や外国に住む県人が、故郷に集う貴重な機会なので、輪島市や石川県の方々と協力して、可能な限り開催目指して努力したい。今回は外国からの参加は難しいが、ワクチン接種がかなり進んでいることもあり、工夫を重ねて開催にこぎ着け、懐かしい故郷の土を踏み空気を胸に入れたいが、何が何でも決行するということではなく、コロナの感染状況を見ながら、弾力的に対応したい。

 我々が故郷を懐かしく思うのは、体も頭も柔軟な子供時代や多感な思春期を過ごした空間と時間が我々の脳裡に深く焼き付けられ、年を重ねても色あせないからだろう。そんな我々の故郷の街々は、住みよいところと高く評価されてきている。というのは、毎年発表される東洋経済誌の「住みよさランキング」で、野々市市が2年連続トップになり、その前に一位だった白山市をはじめ金沢市、能美市、小松市、かほく市が20位内に入っていて、七尾市も近年上位に食い込んだことがあるからだ。これは、安心度、利便度、快適度、富裕度の4視点から20の指標を採用してランキング化した客観的なものである。ランキングは指標の取り方によって結果が変わり、また、我が県以外のどこの出身者でも自分の故郷は母の懐のように心地よいところと思うのは当然ではあるが、石川県の応援団たる県人会の一員として、県内の市町が住みよさを高いランクで評価されれば嬉しい。

「住みよさ」と言えば、俳諧集「猿蓑」の中で、俳聖松尾芭蕉とその弟子の向井去来と野沢凡兆が巻いた有名な歌仙「市中の巻」を思い出す。この巻の発句は凡兆の「市中はもののにほひや夏の月」で、これに芭蕉が「暑し暑しと門々の声」と脇句を付けているが、その第10句で凡兆が「能登の七尾の冬は住みうき」と詠んでいるのをみて驚いたのだ。冬の七尾が住みにくいというのか、石川県の冬は寒いかもしれないが、太平洋側の冬も空は青いがかなり寒いぞ、金沢出身の凡兆が何としたことを言うのだと、江戸期の郷土出身大俳人に文句を言いたくなったのである。しかし、これは俳諧の何たるかを知らない私の思い違い、早トチリだった。歌仙の中で、この句はすぐ前の去来の句を転じて、七尾を訪れた西行法師が修行中の松嶋の見仏上人にまみえた故事を踏まえて付けられたのであり、しかも「能登の七尾」は俳諧の名所、「名だたるところ」として詠み込まれていることを認識しなければならなかったのだ。しかも、その七尾は、現代では客観的に全国でも「住みよさ」の上位にあるのだから、この能登の中心都市の発展に努力してこられた先人の御尽力に感謝したいし、能登の自然環境は有り難いとしみじみ思う。

 全国大会で我々が訪れようとしている輪島も、七尾同様すばらしい市である。首都圏在住者の各市町ふるさと会は「兎追いしかの山」で始まる歌「故郷」で締めくくるのが一般的であるが、東京輪島会は、「花摘む野辺に陽は落ちて」が出だしの「誰か故郷を思わざる」を唄うのが常である。これは、我が国看護界をリードして大活躍され今は鬼籍に入られた寺沼幸子前輪島会長の発想か、坂本哲現会長の思いか、もっと以前からの習わしか、私は、感動しやすいタイプではないが、この輪島会の締めくくりの歌で、いつも目の中が湿ってくる。今年の全国大会が無事開かれて、この歌で目頭が熱くなりたいと願っている。

(2021年7月18日記)


石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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