6月18日の県人会理事会に無断で欠席してしまった。理事やその他の役員の皆様方に大変なご迷惑をおかけした。心からお詫び申し上げる。小松に必ず行かなければならない用務ができたためだが、当然、事務局に連絡したものと錯覚していた。こんな大きな錯誤をおかした不始末、どうかどうかお許し頂きたい。
さて、今年の石川県人会郷土訪問旅行は、4月の能登訪問、5月の小松お旅祭り、6月の百万石祭り関係での訪問と、いずれも天候に恵まれ、多くの参加を頂いて盛大に行われた。特に、百万石祭りでは、昨年の八丈島訪問を受けて宇喜多秀家と豪姫にかかわりのある方々が八丈島や岡山からお見え頂き、また、加賀藩が参勤交代の際にお世話になった埼玉県の鴻巣からもお運び頂いた。前田家の御縁で、各地との連携の輪が広がりつつあるのは、誠に有り難い。参加された方々の熱意と関係者のご尽力に深く感謝したい。
かくして、私も石川と東京の往復をくり返している。よく空路を使うので空港バスに乗る。このバスは最近とみに人気が高まり、私が乗る調布発羽田空港行きのバスは、乗車時に長い列ができる。乗車時に切符を渡すか1440円の現金を払う。出納係を兼ねる運転手に、ポンと1万円札を出す人が結構多い。ツリセンを返すのに手間取る。勢い全員乗車に時間がかかる。雨の日は辛い。こんな状況に遭うと、いつも「金種表」の三文字が胸中をよぎる。かつて、企業や官庁で、給与の支払いは現金の本人手渡しが必須だった。通常、各自の給与は細かい端数がついている。大枚による全体の合計額だけ用意しても、各自への支払いができず、それぞれの給与の端数毎に積み上げた各種の紙幣や硬貨が必要になる。そのため、何円札が何枚、何円玉が何個と計算して一覧表にした「金種表」が必須であった。今も、小売業の方々や金融機関の窓口では、始業時には細かいお釣りや出金にすぐ対応できるよう各種の紙幣と硬貨を準備されているはずだ。しかし、給与支払いは、金融機関への振込みが一般的になって、我々は金種表と縁が薄くなった。
今、お金の細かい端数と書いたが、少額の金銭でも端数と呼んで軽視してはならない。鎌倉時代の武士青砥左衛門藤綱(あおと・さえもん・ふじつな)は、川の中に落ちた10文の銭を拾うのに50文の松明を買って探したという。藤綱は謹直質素な武士として知られており、この逸話は、小銭を大切にというより、流通するお金を失わない意義を説くもののようだが、私どもはどうしても、小銭をきちんと出そうとするクセが抜けない。
ところが、最近、コンビニで、ツリセンなしで支払いしようと小銭入れをまさぐってレジに時間がかかり、背後に思わぬ長蛇の列をつくってしまう年配者があると聞いた。私もその口かもしれない。ここは、大きい紙幣をサッサと出して、店員さんの迅速なお釣りの処理に委ねた方がよいようにも思える。
それにつけても我が国は、まだまだ現金を多用する国であるとシミジミと感じている。最後に、重ねて理事会の無断欠席を深く陳謝して本稿を締め括りたい。(2018年6月19日記)
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