「モコモコ帽はどこ?」
「階段の柱に掛けてあるわよ」
今年の冬の朝、私は、大体、妻とこんな会話をしたあと、帽子を被って家を出る。
今の姿からは想像できないだろうが、若い頃、私の頭は毛髪が十分に生えていた。20代のころ米国カリフォルニアの小さな町の床屋で髪を刈ってもらったら、大量の硬い髪の毛に苦戦した床屋のオヤジから、
「お前の毛は、針金のようだぜ」
とため息をつかれたことが忘れられない。しかし、その針金は次第に細くなり、今やどんどん失われつつある。いきおい冬は頭が寒い。仕事でウィーンに出張していたころから、頭の寒さを感じだしたが、当時は、とりあえず毛糸の簡単な帽子で、寒さに耐えていた。
その後、プラハに在勤することになり、いよいよ頭の防寒が喫緊事になった。ここで、帽子を被らずに屋外に長く居て頭を冷やすと、脳内の水分が凍り、すぐ温かい室内に入ると凍結水が溶け出して、脳が、高野豆腐やスポンジのような多孔質のズブズブの物体になってしまうと警告されたのである。我が脳などはもともとそんな程度のものかもしれないが、それが亢進するのは避けたい。その警告の科学的な正しさはさておいて、ともかく、外で頭が寒いのは辛いので、本格的な防寒帽を買うことにした。
そこで、プラハの銀座か香林坊にあたるヴァーツラフ広場に出かけていき、ロシア人の写真でよく見る毛皮帽を探した。頭頂部をスッポリ覆うとともに、両耳をカバーする耳当てが付いており、それを使わないときは、外側に折り曲げて先端の紐を天辺で結ぶという仕掛けの帽子だ。この帽子は広場の露店に沢山あったが、私の頭に合うものは多くなかった。内容のわりに、我が頭がいかに大きいか実感した。毛皮帽というと高級そうだが、そうではない。私は毛皮には全く疎いが、兎か羊の毛でできているのだろう。値段は覚えていないが、高かった記憶はない。この帽子はロシア語でウシャンカと呼ばれるようだが、ともかくこれのお蔭か、元気でプラハ勤務を終えることができた。
金沢学院大学に務めた時代、バスや車での移動が多かったので、この毛皮帽を使うことはなかったが、公立小松大学には、なるべく小松の旧宅から歩きたいので、この帽子の出番となった。しかし、自分では気付きにくいが、鏡に写る我が毛皮帽姿はやや異様である。身体に比較して、帽子と頭の部分が異常に大きい。小松から戻ったその足で、この帽子を被ったまま東京のタクシーに乗り、行き先を告げたところ、運転手は私をジッと見て、しばし発進しない。どこかの外国人と思い込んだらしい。我が毛皮帽姿を見るオフィスの同僚達は、目を大きく開いて笑う。何となく被り心地はよくない。第一、石川県の冬は、寒いとか雪が多いとかいわれがちだが、最近はそんなものではなく、十分に観光を楽しめるシーズンであることは、同郷のみなさんがよくご承知の通りだ。思えば、今この帽子のありがたみを最も感じるのは、未明の寒さの中で東京の自宅を出て空港バスの乗場へ歩く時間帯である。一日中、毛皮帽を被るのは、やや大げさなのかもしれない。
しかし、我が県人会で今年の暮れ近くにプラハのチェコ県人会を訪問する計画が実現すれば、この帽子が里帰りして、真価を発揮するであろう。その日のために、被り心地がよくなるようにしたいと思っている。(2019年2月18日記)
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