義太夫勧進帳

 3月30日。東京は台東区の浅草神社神楽殿において、公益社団法人石川県観光連盟の主催で、小松市と市内曳山8町が実行団体となって、北陸新幹線金沢以西延伸を記念し、能登半島地震からの復興を応援するため、「義太夫による勧進帳」が上演された。さらに、今月11日が中日の小松お旅祭りでは、材木町曳山の上で、この演目が浅草公演と同じメンバーによって演じられた。両方とも迫力満点の素晴らしい舞台であった。

 歌舞伎の大人気演目「歌舞伎十八番のうち勧進帳」は、石川県や小松市では、御当所芝居として特に好まれる。小松では、春は「全国こども歌舞伎まつりin小松」で主に小学生達が、秋は市内中学校の持ち回りで、市川團十郎丈や一門の方々の指導を受けて大きな舞台で演じられる。勧進帳は「長唄」で上演されるが、明治期から人形浄瑠璃(文楽)でも演じられてきた。これは、もちろん「義太夫」による上演である。

 小松の曳山子供歌舞伎は全て義太夫で演じられる。狭い移動舞台である曳山の上でも勧進帳を演じたいという思いから、小松でも勧進帳が義太夫化され、昭和62年と平成元年に「旅衣小松緑弥栄(たびごろも・こまつのみどりはいやさかえ)・義太夫勧進帳」と題して上演された。今回の浅草公演は、それを受けたものだった。

 本来の勧進帳の登場人物は、弁慶、富樫、義経の3人に加えて、義経に従う四天王4人、富樫の部下である番卒3人と太刀持ち1人の合計11人である。義経・弁慶方6人と富樫方5人が、横に長い舞台上で対峙する形となって、実にバランスがよい。更に、長唄、三味線の演奏者と、笛、小鼓、大鼓の鳴物連中が、背後の緋毛氈上に大勢居並ぶが、こちらは、録音で対応するとしても、11人という役者の数は動かせない。しかし、曳山舞台や神楽殿は狭いから、この人数は登場させられず、7、8人が限度である。

 今回の小松の義太夫勧進帳は、登場人物が5人に絞られた。まず、通行側は、弁慶と義経のみで四天王はいない。関所側すなわち富樫方は、富樫と番卒は軍内六郎と権内次郎の2人だけ。かくして合計5人である。この5人で、「最後の勤め」、「勧進帳読み上げ」、「山伏問答」、「停止命令:それなる強力止まれとこそ」、「義経打擲」、「通行許可:とくとくいざない通られよ」、「判官御手」、「人目の関(弁慶飲酒)」、「延年の舞」、「飛び六法」と、名場面が演じられる。富樫方は、富樫のみでよいと思われそうだが、「弁慶飲酒」のくだりで、弁慶の持つ葛桶に両側から酒を注ぐ見せ場などで、番卒は2人は欠かせない。

 四天王がいないのは淋しい気もするが、見物衆は本来の勧進帳を下敷きにして鑑賞するので、ここは義経と弁慶の二人きりで逃避行しているとは誰も思わない。四天王は省かれていると認識するのだ。もとより、富樫側もこの関所を守るのが富樫以下の3人では全くない。安宅の関は軍事組織であり、大勢の軍卒が待機しているのが大前提となっている。このような5人による義太夫勧進帳は、省略によって、舞台上に無いものを見ることが求められ、その分、抽象度の高い能に近づいている。面白いのは、その能「安宅」自体は、大勢の山伏(立衆)が登場し、途中で義経が山伏から剛力姿になるなど、他の能より写実性が高い演目であることだ。

 今回のお旅祭り上演では、特定の町の曳山の上で、他の町の子供役者も演技したことが画期的である。また少人数の勧進帳の演出が固まったので、弾力的な上演の道も開かれよう。これらは将来の小松の子供歌舞伎の在り方を強く示唆しているように思っている。(2024年5月16日) 

=写真5点はいずれも材木町曳山での上演  

【追記】

 本欄がアップされたのち、この欄で舞台写真を紹介したいと思い立ち、こまつ曳山交流館の中野浩子さんに相談した。結果、中野さんと山崎みどり曳山交流館長のお計らいで掲載したのが上の5枚の写真である。この5枚を通してみると、義経の顔がはっきり出ているものがない。考えてみれば、これは当然で、義経は強力に身を窶した上で、なるべく顔を隠そうとするのは言うまでもないこと、舞台でも、そのように演じられている。しかし、義経は、関守達の居ない時、即ち、花道の上の「出」のくだりと、通行が許されたのちに弁慶に感謝する「判官御手」の場面では、はっきりと顔を顕す。そこで、また山崎さんと中野さんにお願いして、その両場面の写真を頂いたので、追加して掲載する。

 なお、この「義太夫勧進帳」の舞台では、富樫の扮装が本来の勧進帳と違っているのが目につく。本来、富樫の衣装は素襖長袴であるが、狭い曳山舞台の上では、長袴は極めて歩きにくい。それに曳山芝居は大体見上げて見物するのだから、足許は見えない。そこで、裾を引かない青色の袴を着用している。なお、これについては、富樫をはじめ各役の義太夫勧進帳の舞台衣装に関して別途論じたい。

 最後に、「義太夫勧進帳」上演に力を尽くして、すばらしい成果を挙げられた「小松曳山八町連絡協議会」の世話人・関係者と「こまつ曳山交流館みよっさ」の館長館員、そして次に名前を記す役者、三役、後見のみなさんに対し、小松人のひとりとして、ただただ深く感謝している旨を申し上げて、追記を締めくくる。

 子供役者:武蔵坊弁慶:村井美智乃(中町・丸内中学校1年)、富樫左衛門:岡田陽向(材木町・丸内中学校1年)、源義経:荒垣瑠那(寺町・芦城中学校1年)、軍内六郎(番卒):近松葉(大文字町・芦城小学校6年)、権内次郎(番卒):中出龍汰(龍助町・芦城小学校5年)

 三役:振付:千川貴楽、義太夫:石田土茂龍、三味線:土田和寿美

 後見:近信濃、村井聖志郎(高校3年)、大幡悠衣(高校1年)、廣瀬虹来(高校1年)

(2024年7月24日記)

   

石川県人 心の旅 by 石田寛人

石川県人会発行の月刊ニューズレター「石川県人会の絆」に2016年1月の創刊から連載中の記事をまとめたサイトです。

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